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画数枯田阿(えのなかのもち)

 仕事場の最寄駅は東京駅である。このため、連休や盆、年末年始に出掛ける人や帰省客の波にぶつかることも多い。一年中休みなく、働いている者としては、平日の通勤客は当然だけれど、不慣れな利用者が目立つ休日も構内を歩くだけで、精神的な疲れが増す。この三十日もそうであった。
 特に、新幹線の乗り場付近が凄いが、中央線のそれも負けてはいない。これは、中央線のホームが他線より高いところにあって、そこに向かうには長いエスカレータを利用するしかないこともあるだろう。階段が併設されていれば問題がないのだが、どういうわけか、不便な端にしかない。
 仕方なしにそのエスカレータを使うと、急いでいる時など、ふたり連れが並んでいたりする。多くは年配者や子連れで、人が近付いて来たら、肩を斜にするなどの気配りを求めたい。社会的弱者と言われているが、社会に暮らす以上、最低限のマナーを知っている必要はあるだろう。それに、後ろから前に抜けられず、列が伸びることになり甚だ迷惑である。
 また降りた時に立ち止まって案内板を探す人があまりにも多い。これなど危険極まりなく、何度もぶつかりそうになった経験がある。これも乗り方同様年配者や子連れに目立つ。他人への気配りを忘れ、社会的弱者ばかりを叫んでも誰も耳を傾けはしないだろう。
 これらの問題は、本来なら、鉄道会社が設計段階で人間行動学を考えていれば起こらなかったわけで、効率を優先した結果、今の状態になってしまったのだろう。かつての方が利用し易く、これでは折角造ったのに使い勝手が悪く、費用の無駄ともいえる。最近、到る所でバリアフリー対応の施設とよく耳にするけれど、実際、どのくらいが役に立っているのだろうか。非常に興味深い。
(第百七十四段)
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by akasakatei | 2003-12-31 15:04 | 産業 | Comments(0)

扉香流験事(ふかがわしなさだめ)

 今年ももうすぐ終わる。この一年を振り返ると、故郷の学級委員との再会が大きな出来事であった。何しろ、十六年振りである。嬉しくない訳がない。この年になると、一緒に机を並べ学んだ頃の友と会うのが何よりの楽しみである。
 だが、情けないことに精神年齢は何時まで経っても成長する兆しが見られないようである。それを今年になって初めて経験した。この十二月半ばまでは明日死んだとしても悔いはなく、死に対する恐怖などまるでなかった。それが、皮膚炎で医師の門を叩いたところ、良くなることはあっても、治ることはなく、その炎症の原因自体が不明なので、気長に付き合うように言われた時は、かなり精神にダメージを受けた。これでは何のための人生か分からず、薬代のために働かなければならないのかと考えると、何もかもを放り出したくなったほどである。動揺し、そればかりを気にしている自分に気付く度に自己嫌悪を覚え、初めて誰かの支えが欲しいと思った。
 今まで、それについては考えたことはない。昨日まで独身貴族で良いと思っていたのに、一晩でこの変わりようである。変われば変わるものだが、そこで相手の条件について考えたところ、やはり年上、それも六十から八十くらいのお金持ちが良いとの結論に至った。これは相手の方が先に亡くなる可能性が高く、すぐに遺産が入ってくるだろうと計算したからに他ならない。支えというのは、要するに経済的面ということである。
 これに関して、千住の写真家との忘年会、例年の如く深川鍋を突っつきながら話したところ一笑に付されてしまった。彼によれば、その条件に適う女性を探すこと自体が難しいという。
 光源氏とは似ても似つかぬ品定めで、深川の夜は更けていく。
(第百七十三段)
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by akasakatei | 2003-12-29 15:02 | 社会心理 | Comments(0)

俗耶蘇祭談(ごにちのきりしたんまつり)

 このところ、居酒屋で耳にした甲と乙の話から論じているけれど、今の日本は生活費を考えると決して住み易い国とは言えないだろう。収入の減収に伴い婚姻率が下がるのは当然である。また、結婚したしたとしても共稼ぎの家庭が多いであろう。即ち、これは将来の人口が減少していくことも暗示している。最近では未婚者で子供がいる人も多いが、主流になるとは考え難い。
 少子化の影響は公的年金や町のおもちゃ屋まで多方面に及ぶ。公的年金が信じられない人は、保険会社の個人年金に加入するか、何とか貯金を増やそうとする。また、おもちゃ屋は財布の紐を握る祖父母に狙いを絞る。
 つい先日も耶蘇祭だったが、いつの間にかそれも大人の行事になってしまった感が強い。かつてはもっと子供が中心だった記憶がある。おもちゃ屋の新聞散らしを見ると、子供が喜びそうな商品が並んでいたものである。それが今ではどうだろうか。商戦に関して、対象が変わってきているといえる。
 商戦だけではなく、町の様子も異なる。電飾をあちこちで見掛けるようになった。それが個人宅でも行なわれているのだから恐れ入る。他人事ながら、電気代が心配になる。
 正直に言って、耶蘇祭の何が楽しくて、人々が浮かれているのか分からないけれど、このままの状態が続けば、そのうち年配者ばかりの耶蘇祭が来るのは間違いなく、その時、町はどういう雰囲気になっているのであろうか。
(第百七十二段)
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by akasakatei | 2003-12-26 15:02 | 産業 | Comments(0)

競維駈(しゃかいにでるまえのこしかけ)

 第百六十八段の甲の元彼女によれば、子供には良い教育を受けさせるべく、私立に通わせるべき必要があるという。私立に拘るのは良い教師がいるためで、教師も私立の方が給与も高いためにその質が高く、子供を安心して任せられるのがその理由らしい。
 この考えも一理あるが、現代社会において中学から私立に通わせるにはそれなりの稼ぎが必要だろう。事実、高校では父親が失業したために、授業料が払えずに退学していく生徒がいる。簡単に、私立に通わせるのは難しくなっている。
 当然、ここで疑問が生まれる。価格破壊が叫ばれる時代なのに、教育費はどうして下がらないのであろうか。
 第一に、学校は神聖な場所であり、授業料の値下げは一般的な商品と異なり、学校のイメージを低下させる働きがあるということである。つまり、ステータスともいえる。これがお坊ちゃま学校やお嬢様学校と言われるものだろう。
 第二に、教師の人件費や校舎の維持費だろう。学校とは、社会に出る前の子供を預かるわけだから、予期せぬトラブルが多発することは容易に察せられる。それに備えているともいえる。
 だが、現在は少子化であり、学校が生き残りを掛けている時代である。これに対し、入学試験の変更などで乗り切ろうとする学校が目立つが、逆に、授業料を思い切って値下げし、その分、受験生を多数集めて、受験料で収入を増やすのも一考ではなかろうか。
 何はともあれ、教育費の高さは以前から指摘されていたことである。これが続くようだと、かつてのように公立人気が復活することも考えられる。また、冒頭で教師の質に触れたけれど、公立の場合、公務員ということもあり、職に対する安定志向を求める今日、公立に良い教師が集まる可能性も捨て切れない。
(第百七十一段)
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by akasakatei | 2003-12-25 15:01 | 教育 | Comments(0)

弧囲外(こころのたんれん)

 恋愛結婚とはよく聞くが、実はそれは前段でも触れた通り、目標への手段化に過ぎず、絆を結ぼうとしていないことは分かった。恋愛中というのは、単なる恋愛を演じているだけである。
だから、前々段の甲もそうである。この場合、幸か不幸か、甲が本気になってしまったのが、その後の傷の深さとなってしまっている。ここで甲に忠告をするとしたら、基本的に他人は信じられないということである。高い授業料かもしれないが、今後を考えたら甲のためになったといえる。
それにしても、最近の女性は金の切れ目が縁の切れ目らしい。こうした話はよく聞く。知人にもいる。病気になった途端、家庭内から会話がなくなり、顔を合わせてもそっぽを向く状態だという。
こう考えると、女性に包容力がなくなったといえる。自己主張ばかり言うようになったということだろう。今やそうした女性を探すのは難しく、アニメの中にしか存在しないのかもしれない。若者にジャパニメーションの人気があるのも分かる気がする。
面白いことにこうした現象は江戸にもある。江戸ではそれが歌舞伎における女性であり、理想像と言われていたのである。当時の女性は、封建的に縛られていたと思っている人もいるようだが、実際には違う。自由を満喫していたことが分かっており、男性は頭が上がらなかったという。この背景には女性が少数で、なかなか結婚出来なかった事情もあるけれど、疲れた男性の顔が浮かび、芝居の中の女性に癒されているそれを容易に想像出来る。
現代でもこれはそう変わらず、痛い思いをしないように、世の男性は予め心に壁を作ることをお勧めする。
(第百七十段)
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by akasakatei | 2003-12-24 15:00 | 社会心理 | Comments(0)

家衣菜(ちぎりのはてに)

 ある調査によれば女性が結婚相手に求める最低限の年収というのがあるという。それは四百万円という。
 これを読んだ時、思ったことがある。この時代、職があるだけで幸福なはずなのに、そこまで求められると男性にはかなりの負担ではないのだろうか。正に結婚とは人生の墓場といえよう。
 それに関して、誰も疑問に思わないのは何故か。
 疑問に思わないといえば、新聞ではよく平均年収やボーナスの記事が出る。その数字についても、大方の人は何も言わない。だが、中小企業が大部分を占めるこの社会で、多くの勤め人はその差を実感しているに違いない。この数字のマジックは少数の高収入者が平均を上げているのは明白である。
 こうした現状を考えると、女性が年収まで求めるのは単なる現実を知らないだけとなる。たぶん、前段の甲の元彼女もそのひとりに違いない。自分の描いた青写真に向けて、理想の男性を探すのであろう。
 現在、未婚者が多い理由はこの辺にもあるのではないか。前に結婚生活に関し、疑問に思わないのは何故かとしたが、実は知らず知らずのうちに、その声にならない思いが現れているのではないか。
 そうした中、先日結婚した東青梅の地主の決断には驚かされた。その辺の事情について一度会って訊いてみたいものの、お互いに忙しく顔を合わせる暇もない。
 何はともあれ、女性は今の生活レベルのアップや理想を果たすべく結婚を考えているのであろう。いわば、結婚は目標への手段化といえ、絆を結びたいとは思っていないと思われる。
(第百六十九段)
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by akasakatei | 2003-12-23 14:59 | 社会心理 | Comments(0)

闇手奈(くものいと)

 車内や居酒屋ほど情報を得るのに相応しい場所はないだろう。流行もひと目で分かるし、また会話からヒントを見付けることも出来る。
 先日も考えさせられることがあった。居酒屋でのことである。会話をしていたのは三十代の会社員らしき二人連れである。どうやら様子からすると学生時代からの友人同士と察せられる。聞くともなしに聞いていると、これが失恋話である。仮に、失恋した方を甲、その友達を乙とする。話しているのは甲である。
 甲によると、つい二日ほど前に逢引をして、西洋食堂で食事をし、そこで次回の約束もしたという。その帰路、車の中で、甲がどのくらい給与を貰っているかとの話になったという。そこで正直に答えたところ、相手に一瞬沈黙が走り、別れ際は何事もなかったように普通だったにも拘わらず、昨日メールで別れ話を持ち出されたという。その理由は経済的不安だったという。
 愛は金には勝てないのか、と乙に訊いている。それに対し、理想と現実との違いについて乙は説明している。甲の別れた彼女というのは、キリシタンであり、子供が出来たら色々と良い教育をさせたい方針だったようで、安月給の甲に嫌気が差したと見られる。
 この話から考えなければならないことは幾つかある。ひとつは、このご時世で仕事があるだけで有難いはずなのだが、女性は男性に対してある程度の経済力までも求めるものなのか。また、どうして恋愛をするのかである。これはいつも不思議である。更に、価格破壊が言われる時代なのに教育費は何故高いのであろうか。
 これらについて以降検証する。
(第百六十八段)
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by akasakatei | 2003-12-22 14:58 | 社会心理 | Comments(0)

癸未柿葉守(おわりのしんせん)

 今年も残すところ、あと二週間余りとなった十三日、名古屋市営地下鉄四号線の砂田橋から名古屋大学の四・五キロが開業した。
早速、土曜日なこともあり、初乗りを楽しむ。
 自宅を星が未だ瞬く五時前に出、小田急の始発で小田原に向かい、そこで小田原に滅多に停車しない「ひかり」で名古屋入りをする。早起きの甲斐あり、八時半近くには中央西線の車内にいる。
 今回もまた、大曽根から入る。このところ、この地区に新線が走り始めることもあり、通い慣れた感さえある。
 大曽根で名古屋大学行きの電車を待つ。土曜日の朝ということもあり、ホームで待っている人は少ないが、午後になったらどうであろうか。意外なことだけれど、地下鉄が延伸した最初の休日など、地元の住民が初乗りを楽しむこともあり、大いに賑わったりする。東京の大江戸線もそうだったし、横浜や札幌でも同様である。
 ナゴヤドーム前矢田、砂田橋を過ぎ、開業区間に入る。茶屋ヶ、坂、自由ヶ丘、本山と駅が設けられ、終点の名古屋大学に至る。最近では地下鉄でも各駅により、柱の色を変えて、ひと目で分かり易いようにしているけれど、旅人は通り過ぎるだけなので、どこの駅でも同じように見えてしまう。
 こうした駅の構造などはいつも会社側の都合が優先するけれど、本来は利用者の視点で造って貰いたいものである。よく人間工学を採りいれたと聞くものもあるが、実際には上手く機能していないことが多い。考えて貰いたい課題である。
(第百六十七段)
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by akasakatei | 2003-12-21 14:57 | 余暇 | Comments(0)

流丸煩(てのひらのすな)

 小田急沿線に住んでいるが、最近、朝の遅れが目立つ。今朝も相武台前で信号機の故障があったということで遅れていた。
 遅れているが、この前みたいに不通になっていないこともあり、大して気にもせずに仕事場に向かうものの、途中で振替乗車をする羽目になってしまった。
 いつもは最寄駅から各駅停車に乗り成城学園前で急行に乗り換えるものの、この日は遅れもありホームは後続の急行を待つ人で溢れていたので、そのまま新宿へ行くことにした。運転席のすぐ後ろに立っていたのだが、ひとつふたつ駅を過ぎるとともに、余裕のあった車内も足の踏み場もないほどになる。
 問題が起きたのは豪徳寺である。ここは現在高架化の工事のため、ホームが狭くなっている。ちょっと押されたら、危険なほどなのだが、ここであまりにも多くの乗客が乗ってきたこともあり、扉が閉まらなくなり、運転士がわざわざ後ろに行って確認するほどであった。そのうち異常警報もなり始める。十分ほど待っても、案内放送もなく、また発車する見込みもないので、結局、そこから東急世田谷線を使うことにする。
 電車を降りて驚いたのだが、ホームでは気分が悪くなった乗客が多数倒れていて、まるで野戦病院であり、この電車が動かないのは脱線してしまったためとの情報も飛び交っている。察するところ、気分が悪くなった乗客を車外に出すのに時間を取られたと考えられる。
何はともあれ、群集心理をみた思いである。パニックとはちょっとしたことで起きるものと肌で感じた次第である。
(第百六十六段)
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by akasakatei | 2003-12-10 14:56 | 社会心理 | Comments(0)

町査起(ききがきのすすめ)

 この時期になると喪中葉書が舞い込む。今のところ、美濃の役人と行徳の引越人のふたりだけだが、年賀状を書き終えてから舞い込まれると、力が抜けてしまう。
 内容を読むと、ふたりとも祖父母の関係で不幸があったようである。三十過ぎてまで、祖父母が生きていたとは、早くに亡くした者にとっては羨ましい限りである。その関係の思い出は、父方の祖母は生まれる前、また母方の祖父母は遠く離れていたこともあり、数えるほどしか会ったことはなく、小学校の時にはもういなかったので、思い出というものはない。第一、名前も知らない。つまり、孫としては、八十六歳で亡くなった父方の祖父が一番の思い出ということになる。
この祖父は高校時代まで一緒に暮らしていたので、記憶は鮮明である。特に、祖父にとって、初めての男の孫ということで、大変喜んだという。確かに、味も分からぬ子供に、鰻や鮨、天麩羅などを老舗でよく食べさせてくれたものであった。十九世紀生まれで、三味線職人をしており、芝居・相撲好きであった。
 思えば、杯を交わしながら、もっと故郷における昔話を聞きたかったものである。意外とその分野の書物は出ておらず、貴重な証言になったに違いない。こうした例は多い。あの頃は若く、そこまで頭が働かず、後悔することこの上ない。
(第百六十五段)
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by akasakatei | 2003-12-06 14:55 | 余暇 | Comments(0)