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耶蘇鳴物会(キリシタンおんがくかい)

 大森にある教会でクラシックのクリスマスコンサートがあり、チケットがどういうわけか手元にきた。好奇心で行ってみる。
 普段、生活をしていると信者でもない限り、教会に足を踏み入れることはない。寺社に関してはそうでもないが、教会は接点がなく、どういうことが行われているのか知る由もない。
 敷地に入ると、幼稚園バスがあり、その側には蝋人形がある。イエスが生まれた場面の再現である。
 礼拝堂は、体育館のように天井が高く、木の長椅子が並んでいる。信者なのか地元の人かは知らないけれど、演奏が始まるのを待っている。後ろを見れば、バルコニーというのか二階にパイプオルガンがある。教会のイメージであるステンドグラスは意外とない。
 演奏に間があったので、トイレに行くと、タイル張りで時を感じる。どうやらこの教会自体、かなり古いようである。
 物珍しさのうちに演奏が始まる。プログラムを見ても、知っている曲はない。聴いていると、どれも宗教曲のようでる。添付された歌詞の訳を見る。クラシックに歌詞があること自体知らなかったけれど、それは聖書からのものと思われるものが多い。学校時代に授業で聴いた曲とは印象が異なる。
 何はともあれ不思議な体験ではあった。
(第百六十四段)
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by akasakatei | 2003-11-30 14:54 | 文芸 | Comments(0)

嵐於羽吾散(にひゃくとうか)

 仕事場に行商のおばあさんがやって来た。割烹着姿に姉さん被りで、千葉からだという。風呂敷で大荷物を背負っている。正直、買う気などなかったのだが、腰を落ち着けて店を広げてしまったので、落花生一袋を三百五十円で買う。高いのか安いのかわからないけれど、後で家人に訊けば高いらしい。丁度、その時、パソコンの調子が悪く、メーカーに修理に来て貰っていたのだけれど、その担当者は行商人を初めて見たという。
 以前は行商列車を京成が早朝に走らせていたこともあり、よく見掛けたものの、行商人が減るとともに、何時の間にか列車も消え、それによって行商人の姿も珍しくなったといえるかもしれない。
 行商で思い出したが、川越の図書奉行の勤務先には唐辛子売りのおじいさんが現れるという。何でも、図書館のカウンターに来ては、職員に唐辛子を売り付けているらしく、困った職員がその姿が敷地に入って来るのを見付けた時は、すぐに図書館の入り口に「休館」の札を出すようにしていると聞いたことがある。
 今回、仕事場に来たおばあさんも、仕事場が入っているビルは九階建てだが、各階でかなり買ってくれた話をしており、特にビルの管理人など三千円も買ってくれたと言う。再び来る可能性がある。どうやって、今度は断るか思案しなければならない。
(第百六十三段)
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by akasakatei | 2003-11-28 14:53 | 社会心理 | Comments(0)

落葉遊歩道(あきのあかとあお)

 風邪がなかなか抜けきらない。こういう時に限り、酒の誘いがある。何れも小学校以来の付き合いである佐貫の酒仙と故郷の学級委員である。別々に連絡が入る。行きたいのは当然だけれど、熱、咳、鼻、喉、頭が辛く、無理に出掛けて、うつすわけにもいかないので、ここは自重する。
 例により、布団で『俳句歳時記』を眺めていると、仲冬に風邪に関する季語が並ぶ。
 
風邪、風邪心地、風邪薬、流行風邪、湯ざめ、水洟、咳、咳く、くさめ、はなひる

見慣れない季語もあるけれど、例句に目をやるとその情景が浮かぶ。
眺めているうちに、急に外出する気になる。とはいえ、飲みにではない。家人も納得するところ、医者である。
そこへは歩いて十分くらいである。桜並木の遊歩道を通っていく。落ち葉を踏みしめていると、紅葉が舞ってくる。見上げると、空の青さと紅い葉が映えて、しみじみ秋を感じる。また、通りに面した家では箒で落ち葉を掃いている。葉は次々に落ちてくる。子供たちが、そうした中、車座でカードゲームに興じている。
(第百六十二段)
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by akasakatei | 2003-11-23 14:52 | 余暇 | Comments(0)

御神籤布団(さいじきりようほう)

 季節の変わり目だからか、暖かったり、寒かったりして体調の維持が難しく、朝起きたら喉が痛む。一日大人しく、布団の中で『俳句歳時記』を紐解く。俳句はやらないけれども、季語を拾うだけでも楽しい。日本人であることを実感する。日本語の深さと同時に四季の有り難さを知る。
 季節は知らぬ間に立冬を過ぎたが、仲秋の項を眺めていたら「赤蜻蛉」の季語がある。振り返れば、この秋は気候が例年とは違っていたためか、赤蜻蛉を見た記憶がない。澄んだ秋の空を飛ぶ赤蜻蛉は、青の背景と対照的で美しい。それを目にしなかったのは残念である。来秋まで待たなくてはならない。
 次に目に付いた季語は、盛夏の「洗鯉」である。赤蜻蛉より季節が前だけれど、手当たり次第に頁を開いているので気にはしない。今夏に食べたそれを思い出す。鯉といえば、コイヘルペスで大変な騒ぎになっている。茨城の養殖池から始まった騒動が錦鯉や天然の鯉にまで広がっているという。人が食べても害はないというけれど、気分は良くない。最近では鯉もあまり食べないので、これくらいの騒ぎで収まっているのかもしれない。
 食べ物関係の季語で他に気になったのは、晩秋の「新米」である。収穫期にどういうわけか、米だけではないけれど、作物泥棒が世間を騒がせたのは記憶に新しい。東青梅の地主ではないが、一体何を考えているのであろうか。
(第百六十一段)
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by akasakatei | 2003-11-19 14:51 | 余暇 | Comments(0)

市世宇扉者(よをみれば)

 昨年に続き電脳機関のOSがトラブルになり、全てのソフトを再インストールする羽目になった。どういうわけか、この時期になると調子がおかしくなり、所詮機械は冬場に弱いことを改めて認識する。
 周辺を見れば、機械に頼る生活だが、果たして大丈夫なのかと考えてしまう。何ヶ月か前に起きた海の向こうでの停電騒ぎは他人事ではない。危機管理を徹底すべきである。機械は壊れるのが普通であり、信用出来るものではない。
 危機管理といえば、阪神大震災の時も、高速道路は海外と比べて丈夫に出来ていると言っていたけれど、結果的には海外と同様の結果となってしまったのは記憶に新しい。
 あらゆる方向から検討を加えるのが大切である。そういった意味からすれば、先日の中央線における一連のトラブルなど防げたはずで、これだけの騒ぎで収まっているのが不思議なほどである。
 こうした動きをするのはプロ野球でも同様である。子供の頃から、応援しているホークスだが、ファンと一体で日本一になったと思ったのも束の間、チームの主力選手を無償でジャイアンツにトレードしてしまった。怪我で今年一年を棒に振ったものの、その選手はチームにとっては必要な人材であった。この間の経緯について、トレード先のオーナーが、実質プロ野球の中心者であることもあり、球団の身売りをスムーズにするためのご機嫌伺い、また年棒が高すぎて払えないのでトレードしたなど、様々な憶測が飛び交うがファンを無視していることは事実である。かつてライオンズを失った福岡のファンが何時までも待っていると球団が考えていたら、それは大きな間違いである。ファンあっての球団である。
(第百六十段)
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by akasakatei | 2003-11-12 14:50 | 情報 | Comments(0)

当世浮世床(とこやせいだん)

 小田急沿線に住んでいるが、最寄駅は乗換駅ではないこともあり、不通になった時など、仕事場に行くのに苦労する。やはり住む場所は、代替線があった方が便利である。
 先日もまた人身事故が、丁度ラッシュ時に起き、仕事場に行くのに困ってしまう。結局、迂回したので、倍近く掛かる。迷惑な話である。
 行き付けの床屋でも大将とそうした話になっていると、常連客が来る。が、頭を刈りにではない。前を通り掛ったので、無駄話をしに来たのである。この床屋は、その昔の浮世床になっている感があり、入れ替わり立ち代り、話をしに入ってくる人で絶えない。また、外観も古いので、日本文化を勉強しに来ている留学生も顔を出す。大将は、自称、町の外交官と言っている。
 ところで、この常連は、事故が起きた日、車内に一時間も缶詰にされたらしく、その状況を生々しい言葉で教えてくれる。あちこちで倒れる人がおり、トイレにも行けずに苦しむ人が多かったという。特に、常連の場合、直腸癌で二十五センチを切り、頻繁にトイレに行く必要があるので辛く、最後は気力で持ちこたえたようである。この時、何か術後の一線を越えられたそうで、食が細かったのが、元に戻り、そういう意味では駅長にお礼を言ってやろう、と思うと宣う。これも、苦行を乗り越え、その結果としての悟りみたいなものかもしれない。
 それにしても、こういう時は、どこかの駅に停車させるべきではないか。鉄道会社は何を考えているのか。毎回同じことを言わせる。
(第百五十九段)
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by akasakatei | 2003-11-02 14:49 | 余暇 | Comments(0)

総持寺参拝(やくよけまいり)

 食事を終え、いよいよ参拝する。門を潜ると、広い境内が目に飛び込んでくる。人はあまり出ていないので、余計その広さが目立つ。両脇には出店もある。中には早くも千歳飴を売っているところもある。
 七五三は来月十五日である。仕事の関係で早目に済ませる家もあるのだろう。この日もふた組ほど見掛ける。
 境内を一周する。門の右手に藤棚と池がある。来る時には気付かなかったが、一匹どのくらいするのか、何匹もの錦鯉が悠然と泳いでいる。
 魚といえば、先日ひばりが丘の印刷屋より熱帯魚を飼ってみないかと持ち掛けられたものの、水槽を置くスペースと電気系統の関係で断念した。文献を読んだところ、水替えや停電時など危機管理が確りしていないと魚に可哀相なことになりかねない。一時的な人間の身勝手さで安易に飼うべきではないだろう。
 西新井大師を後にする。参拝帰りを相手にするのか、左右の草だんごを売る店から試食品を渡される。よもぎが入っており、添加物は使っておらず、日持ちはしないという。
 草色といえば、かつてはそうした色の電車を私鉄でよく見掛けたものである。子供心にも美味しそうに感じられたのはどうしてであろう。
 こうした思い出からか、気付いた時には土産用の菓子折りを手にしている。今日中に食べた方が良いらしいが、試食品を五つも食べてしまった。胡麻を塗したものや中に餡を入れたものなど変わったものだったが、一日でそんなに甘い物が食べられるものでもない。全て家人の胃に消えることになりそうである。
(第百五十八段)
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by akasakatei | 2003-11-01 14:48 | 余暇 | Comments(0)