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総持寺門前(やくよけときのめぐみ)

 東武大師線を訪れる。大師前が高架化されてからは初めてである。最初に乗ったのは、小学二年の時である。あれから二十年以上経っていることになる。
 十月二十五日土曜日、東武伊勢崎線西新井から大師前に向かう。一キロほどの旅である。大師線はワンマン運転を行ない、また大師前は無人駅なので、西新井の大師線ホームに下りる前に自動改札が設けられている。こうしたシステムに乗り慣れていない者としてはやや戸惑う。
 二両編成の車内は空いている。これが西新井大師で何かが行なわれる日ならば、全く違う姿を見せてくれるだろう。二分ほどで大師前着。二十年以上前と比べ、大師前付近が高架化されたことを除き、雰囲気はそんなには違わない。
 門前町を歩く。草だんごや川魚料理の店が目立つ。丁度、昼時であり、どこかで食事をしたいと思うが、これという決め手がない。結局、呼び止められた店にする。
 店内には夫婦らしい先客がひと組いる。椅子とテーブルの島が十二ほどあり、振り子時計が目立つ。
 頼んだきじ焼き定食が運ばれ、漬物を最初に口にすると、懐かしい糠の味がする。最近あまり味わうことはない。小鉢の卵焼きもまたほのかな甘味があり、これまた懐かしい。
味わっていると、時計が正午を知らせる。夫婦の会話も止んでおり、店の従業員の声もしない。ここにいる誰もが動いてはいない。静粛な空間に音だけが響く。贅沢に身を置いていることを意識する。
(第百五十七段)
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by akasakatei | 2003-10-30 14:47 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務青空(ついおくきこうたびのたのしみ)

 十九日、今日全線開業したえちぜん鉄道勝山永平寺線を完乗することにする。例によって、手元には一日乗車券がある。こちらも往復すれば、前日同様この切符の方が安い。
 始発は六時十八分である。改札が開くのを待っていると、どこからともなく、ひと目でファンと分かる人間が集まる。観察していると、記念に切符を大量に買い込み、駅の写真を撮っている。
 改札が開き、車内を見回すと一般の利用者は少なく、多くをファンが占める。日曜の始発ということもあるかもしれないが、やや寂しいのは否めない。
 車輌は二両編成で、車体は新しいものの、モーターは古いようで、今では懐かしい釣り掛けモーターを響かせる。かつては首都圏でも普通に走っていたし、地方では当然だったこの音を聞かなくなってどのくらい経つであろうか。
 かつて永平寺へ分岐していた永平寺口では、廃線に旧型車輌を止めており、旧塗装のままなので、殊更に切なさを覚える。急な営業停止だったこともあり、車輌にも心残りがあったに違いなく、もう一度走らせてやりたいとさえ思う。
 七時二十一分、勝山着。多くのファンがここまで乗る。この後はどこかで撮影をするか、三国方面に移るのであろう。
 これで旅の目的は果たした。戻るだけである。「しらさぎ四号」で名古屋に出る予定である。
 秋の旅で好きなのは、車窓から空を眺めることである。特に、縦貫する線で特急だと良い。青空に浮かぶ雲を見上げていると、何ともいえないものがある。この「しらさぎ」など条件を満たしている。旅の楽しみは未だ終わってはいない。
(第百五十六段)
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by akasakatei | 2003-10-29 14:46 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務福井(ついおくきこうふくい)

京都からの「サンダーバード二十五号」は途中敦賀に停車する。この敦賀には小学校六年の時に母と弟で来たことがある。敦賀から
小浜線に乗り換え、美浜に行ったのである。母の友達の実家が美浜で民宿をしていたからで、今思えば、中学受験なのに、よく母が連れて行ったものと思う。
 車窓からだと構内の配線などは記憶のままだが、小浜線は電化されており、時の流れは感じる。
 これから向かう福井も、中学二年の時に行徳の引越人と訪れたことがある。あの時、京福電車で福井口に行った記憶は今も残る。
 今回、その京福は事故を立て続けに起こして今では廃止になり、えちぜん鉄道に生まれ変わったその姿を見るのが最大の目的である。
 勝山永平寺線のうち、永平寺口から勝山は明日十九日の開業である。今日は先に全線開業した三国芦原線を完乗することにする。
 福井十五時四十分発の三国港行きに乗る。手元には一日乗車券がある。最初窓口で往復切符を頼んだのだが、窓口氏よりお得との勧めがあり、こちらにしたのである。途中下車も出来、値段も八百円で、確かに、往復だと運賃は千五百円なのだから安い。この切符は土日、祝祭日、年末年始のみに発売されているという。
 秋の夕暮れは早い。黄昏の中を電車は走る。今回の件によって、旧型車は廃車とされ、阪神電鉄から譲り受けた車輌が線路を走る。ワンマンであり、事故の教訓からか、指差確認は徹底している。若い運転士なので、声も大きい。また、単線なので行き違いをする時には、余裕があるほどの停車時間である。
 十六時二十七分、三国港着。雨脚が追い掛けてきたのか、今まで夕陽が覗いていたのに、窓硝子を叩く。
(第百五十五段)
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by akasakatei | 2003-10-28 14:45 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務姫路(ついおくきこうひめじ)

 何時間振りに物を入れたのであろうか。構内の喫茶店で中華丼を食べる。野菜が中心なので胃には優しい。次は十三時三分発の「ひかり三百十四号」で京都へ行き、そこより十四時十分発の「サンダーバード二十五号」で福井を目指す。京都での接続は十二分である。それにしても、乗り換え時間が短い。年配者に関していえば辛いだろう。
 新幹線まで間があるので適当に歩く。みどりの窓口があるので覗く。三人で対応しているが、十人以上の列はなかなか進まない。JR西日本ではどういうわけか、いつも行列が出来ている。観察していると、予め電車を調べていない利用者が多いようで、それが担当者に相談するものだから、列が伸びていくようである。これでは乗る電車が決まっている人には面白くない。何か会社側も手を打つべきであろう。 
 町に出る。駅前にあるアーケード街に足を向ける。セリーグを制したタイガース関連グッズを売る店があり、球団歌が響く。東京ではあまり耳にしないこともない、旅に出た実感を噛み締める。
 時間になったので駅に戻る。車中の人になるが昨夜は夜行で寝不足だったこともあり、すぐに寝てしまう。京都で下車出来たのが不思議なほどである。
(第百五十四段)
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by akasakatei | 2003-10-27 14:44 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務三都(ついおくきこうさんと)

 金山に戻る。八時三分発米原行きの特別快速で姫路に向かう。米原からは七分間の接続で新快速に乗り換えることになるが、姫路には十一時四十二分に着く。この間に五月から高架化になった山陽本線加古川駅を抜ける。これが目的である。
 それにしても接続が良すぎるため、朝食を摂る暇がない。以前、金山には、ホーム上に立ち喰いきしめんがあったが、エレベータの工事のため閉鎖されている。さりとて、駅弁も見当たらず。結局、そのまま車中の人となる。
 こうなると、米原まで我慢しなければならない。米原着は九時十九分である。上手くすれば、駅弁が手に入るに違いない。それにしても、これからの区間は新幹線の雰囲気と比べると異なっているのは何故か。新幹線で走るのは好きなのだが、在来線ではそうでもない。
 米原で乗り換える。結局、ここでも駅弁は手に入らず。接続電車の入線が遅く、列に並んだためである。空腹を二時間ほど抱えることになるものの、姫路以降の接続を考えた場合、この電車に乗っている必要がある。
 京都、大阪、神戸と三都を結ぶため、利用者も多く、段々と立っている人が目立ち始める。これからの区間のうち、滋賀、須磨付近の景色は嫌いではない。前者は冬が良く、後者は古典で馴染みがあるので好印象があるのだろう。
 加古川は加古川線のホームが未だ工事中のため、その全貌が見えず、完成時には再度訪れるつもりである。
(第百五十三段)
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by akasakatei | 2003-10-26 14:43 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務常滑(ついおくきこうとこなめ)

 翌十八日、金山六時二分着。名古屋で名鉄に乗り換える予定であったが、手前の金山から名鉄を利用することにする。この方が、名古屋で乗り換えるよりも多少時間の節約になるからである。常滑は金山からの方が近い。
 名鉄は中京地区に路線を巡らしているが、多くの電車が名古屋を経由するようにダイヤを組んでいることもあり、乗り慣れていない者にとっては分かり難い。
 今回も常滑まで行く予定であるが、駅に設置されている電車案内表示機だけでは心許なかったこともあり駅員に訊ねる。
 すぐに発車する電車で、途中の太田川で乗り換えるよう教えられる。用を足したかったものの、その時間もなく、すぐに入線してきた電車に乗る。
 ところで、わざわざ常滑に向かうのは、この四日に、昨年一月より運休していた榎戸から先の常滑までが高架化として開業したからである。普通、高架化工事で長期運休することはないのだが、建設中の中部国際空港へのアクセス線となるためである。
 太田川から常滑への電車は二両編成である。名古屋方面とは反対に向かうため、ひとつの車輌にふたりほどしかいない。土曜日ということもあるだろう。今の印象が近い将来変貌するのは間違いないだろう。
(第百五十二段)
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by akasakatei | 2003-10-25 14:42 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務鉄歌(ついおくきこうこもりうた)

 事前に友人・知人らにこの旅について知らせていたにも拘らず、誰も見送りには来ない。佐貫の酒仙よりメールが届いただけである。
 それは、明日の目的地の天気は寒いらしく、健康を気遣ったものである。友の有り難味が身に染みる。
 メールの返信をしている間に、列車は定刻に東京のホームを離れる。金曜の夜の最終に近い列車は遅れることが多い。定刻とは珍しいと思っていたのだが、品川で山手線からの接続のため十分近く遅れる。
 この遅れについては、途中二駅で三十分ほどの停車があるので、名古屋には定刻で到着するだろうが、気分的には遅れているのは面白くない。定時運行について、鉄道会社はもっと力を入れて貰いたいものである。
 この問題については以前にも触れたが、結局のところ、利用者を無視している会社が多く、現在、それが表面上に出てきたのが例の中央線の高架化工事に伴う踏み切りのトラブルである。これに関して、地元の国分寺の師匠はどう考えているのであろうか。
 闇の中を列車は進む。時々踏み切りの音が聞こえる以外は、線路を走る音しか聞こえない。それを子守唄に何時の間にか眠りに落ちしまう。
(第百五十一段)
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by akasakatei | 2003-10-23 14:41 | 余暇 | Comments(0)

世維詩遊務夜行(ついおくきこうたびだち)

 秋は観光シーズンとはいうものの、これまでに意外と遠出はしていない。祝祭日はあるが、長期休暇というには程遠いことが関係している。この観光シーズンは誰を対象としているのだろうか。恐らくは、余裕のある年配者に違いない。そうでなければ、旅行会社の店頭に置かれているパンフレットの旅行日数の意味が分からない。
 何はともあれ、今年も金曜日の夜に東京を抜け出し、日曜日に戻ってくるいつもの計画で、北陸を目指すことにする。目的は十九日に全線が開業するえちぜん鉄道である。
 十七日、東京を二十三時四十三分発の「ムーンライトながら」の乗客になる。まずはこれで名古屋に行く。真っ直ぐ北陸に行っても構わないのだけれど、それでは面白みに欠けるので、途中、名鉄常滑線とJR加古川駅に立ち寄ることにする。名古屋には翌朝六時五分に到着予定である。
 車内は、先程アナウンスで満席と告げていたにも拘らず、空席が目立つ。たぶん、途中から乗ってくるのだろうが、この列車の前身を知る者にとっては隔世の感がある。
 その前身の列車は指定席がなかったこともあり、乗車するために早々とホームに並ぶ必要があり、学生の長期休暇時など、それこそ車内は立錐の余地さえないほどであった。
 初めて乗ったのは中学一年の夏である。豊橋に行くためである。それまで夜行列車に乗車したことはなく、大人の世界に足を踏み込んだ感じがしたものである。
(第百五十段)
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by akasakatei | 2003-10-22 14:40 | 余暇 | Comments(0)

少女神隠伝(おとめかくれんぼ)

 このところ、少女に対する誘拐、監禁事件が多いことは知っていたが、そのほとんどが地方で発生していたことまでは気付かなかった。
 指摘したのは東青梅の地主である。それについて考察してみたい。
 少女を標的にすることについては、心理学的には支配欲と一般的には説明される。仕事や家庭、学校などの日常生活において、虐げられた犯人が、自分より弱者に矛先を向けることにより、自己の持つ不満を解消しているものである。
 普通、守りたいものがあれば、一線を踏み外すことは考え難いものだが、日常において苦しんでいるわけだから、ちょっとしたことが原因で理性を失ってしまうのだろう。極めて不安定な状態で日々を過ごしているともいえる。
 次に、都市より地方で発生している理由だが、この種の事件に自動車は欠かせない道具である。都市では、無理矢理乗せようとすれば、他人の目が煩いと思っているため、人目がない地方で多いのではないだろうか。また、都市では、金銭的に麻痺している少女を見付けるのに苦労しないこともある。何時でも、近付くことは可能なわけである。その際、犯罪が行なわれたとしても、金銭が絡むこともあり、表に出て来ないだけに違いない。
尤も、これは大多数の人が抱く都市のイメージである。社会心理学におけるビッブ・ラネタの援助行動の実験から考えると、都市では人目があるとはいえ、実際には、その目は何も映してはいない。都市はもっと冷たいものである。人が大勢いるならば、誰かが口を出すだろうとしか考えていないものである。これは車内のトラブルを見れば、分かるであろう。
(第百四十九段)
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by akasakatei | 2003-10-15 14:39 | 社会心理 | Comments(0)

朱鷺歌(みらいへのてがみ)

 日本産の朱鷺が絶滅した。この日が来るのは分かっていたが、実際、その日になってみると、朱鷺の嘆きが聞こえてきそうである。絶滅の原因は人間側にあるわけで、何ともいいようがない。江戸の絵では朱鷺は少ないけれど、町中でも普通に見られた鳥だったという。この間、人間が行なってきたのは何だったのか。
 こうした生物が多い。何とか、絶滅させないようにしたいものの、それには、その種だけではなく、その環境そのものを保護しなくてはならない。果たして、現在、そういったことが出来るのであろうか。
 人間の利益ばかりを追求しているようでは無理であろう。今の人間に三百六十度を見回す余裕などありはしない。大体、日常生活においてでさえ、他人より自己を中心に考えているわけであり、環境問題など、何とも思っていないに違いない。
 事実、路上は空き缶や煙草の吸殻を始めとして、何でも落ちている。こうした自然に戻らないものを平気で捨てる人間がいるうちは、遠い夢以外には考えられない。
 それにしても、今回の朱鷺の絶滅は、芝居でいえば、愁嘆場なわけで、「佐渡飼育所キン最期の場」と名付けられそうなものである。
(第百四十八段)
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by akasakatei | 2003-10-13 14:38 | 地域 | Comments(0)