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呆公共行動(ひろこうじろじょうかんさつ)

 犯罪を防ぐには罰を重くするだけでは難しい。となると、教育の問題になってくる。これについては以前にも何回か触れたことがある。詳しくはそちらを参照して貰うことにして、要は、現在希薄となっている地域も教育に参加するという趣旨である。
 だが、これも子供の親が確りしていないと空回りに終わる可能性すらある。
 子供を見れば親が分かるというけれど、これは尤もである。特に、公共の場では興味深い観察が出来る。
 よく目にするのが電車内における座敷に子供をどう座らせているかだろう。靴を脱がせている姿を最近は見掛けなくなった。
 また、自動改札において子供に切符を持たせる親も多いが、この場合、上手く一度で通れた試しがなく、後続の人に迷惑を掛けているのにも気付かず、何度も子供にやり直しをさせている親が何と多いことか。 
 他にも様々な光景を目にするが、何れも子育てをする資格が欠如しているといえる。今の親はそれを個性重視というかもしれないが、まず大切なのは他人に迷惑を掛けないようにすることである。現代社会は子育てに冷たいと口を揃えていうが、それより前にやるべきことがあることに気付かなければならないだろう。
(第百十段)
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by akasakatei | 2003-07-30 14:00 | 教育 | Comments(0)

最近事件評(とうせいさんめんきじかいせつ)

 未だこのようなことが行なわれているのか、と呆れたのは名古屋におけるバスの無免許運転である。この親会社に関しては、第八十七段で触れたことがある。以上から察するに利用者よりも会社の方が大切ということが明らかである。
 これまでの企業の不祥事について、対岸の火事という気持ちでいるのではないだろうか。それらの企業のその後のとった道をもっと考えるべきであろう。
 目を転じれば、沖縄、長崎では中学生が殺人を犯し、都内では私大生らが集団で婦女暴行を行なうなど、若年層における事件が世間を賑わせたが、これらの背景を探れば、そこには資本主義社会の原理ともいえる競争とは無縁ではないことが分かる。名古屋のそれは悪名を恐れた企業の保身であり、若年層のそれは極めて自己中心的な思考における欲望の結果といえる。
 何れも弁明の余地はなく、厳しい罰が望まれるが、無論、長崎のそれについても十二歳の少年が犯人だったとはいえ、事件の経過を見るに、そのとった行動は小学生でも善悪の区別が付くものだったと察せられる。
 前にも触れたが、現在、被害者よりも加害者のプライバシーばかりが守られているが、少年事件の場合、その関係者によれば再犯する者が多く、法務教官は無力感を感じているという。つまり、現在の更生教育がうまく機能しているとは言い難いということである。少年だからといって、保護ばかりするのではなく、時代とともに罰を与えることも重要であろう。法改正が望まれる。
(第百九段)
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by akasakatei | 2003-07-27 13:58 | 政治 | Comments(0)

夏至遠方俤(ぶしゅうなつのいちにち)

 この春、越生の図書奉行が川越に引っ越した。これによって、川越の図書奉行にその名を改めることに相成った。一度、様子を見に行こうと思っていたものの、お互いの休日が合わずに、漸く訪問出来たのは、ある梅雨の晴れ間の日曜日である。この日は、越生の法家も訪れる。
ここで形容に付く越生について説明する。図書奉行、法家とも学生時代よりの付き合いだが、ふたりとも当時は実家で暮らしていたのだが、卒業後、どういう因果か越生で再会することになった。尤も、図書奉行は職場、法家は住まいを越生としているが。
 何はともあれ、ふたりと顔を合わせるのは二年振りか。あの頃は毎日顔を合わせていたのに、時を経て違う場所で待ち合わせることになるとは当時は考えもしなかったことである。卒業後、連絡を一度も取っていない者もいるがどうしているであろうか。
 待ち合わせ時間より多少早く着いたので、川越駅前にある案内図を眺める。川越は学生だった十年以上前に訪れたことがある。あの時は本川越で、法事の帰りであった。高校時代の級友が海で溺死したと連絡が入り、それに参列したのである。あの日もこの日のように暑かった。
 そういった思い出もあるために、懐かしくなったのであろう。待ち合わせ時間丁度にふたりが来る。これから、思い出話に花が咲くであろう。
(第百八段)
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by akasakatei | 2003-07-26 13:57 | 余暇 | Comments(0)

科工命(しょくたくへんげ)

 新聞の家庭面を捲ると、骨なし魚についての記事が目に入ってくる。最初、何のことかと分からず、新種の魚を開発したと思っていたら、そうではなく、出荷する時に毛抜きで細かい骨までを抜いた切り身のことらしい。
 記事によれば、子供のいる家庭や病院では好評という。業者側の話しだと、骨を取る作業はかなり気を遣うようで、出荷時にエックス線で確認するところもあるらしい。エックス線を浴びせて問題はないのであろうか。実験では短期間のデータしか採らないだろうから、長期的にみて人体への影響が懸念される。
 また、魚に骨がないものと思い込む人間さえ出てくる可能性は否定出来ないだろう。例えば、今日、スーパーに行けば、パックに入った切り身ばかりが店頭に並べられており、その姿全体を見ることはまずない。ある子供は魚とは切り身で泳いでいるものと思っていたらしい。
 これは笑い話ではない。最近は大学生ですら、この国が米利堅と戦争をしたことを知らない者が増えている。我々大人の常識が今後の世代には益々通用しないことになるであろう。
 閑話休題。骨に戻れば、かつては煮魚の後にはそこに湯を注ぎ、残った身をそれによって奇麗にし、汁とともに楽しんだものである。今回のこの出現は食文化のひとつの分かれ目かもしれない。
(第百七段)
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by akasakatei | 2003-07-23 13:54 | 家族 | Comments(0)

故郷情景神社談(あかさかふどきけいだいがたり)

 故郷の思い出で忘れられないことがふたつある。何れも神社に関係する。
 ひとつは、氏神である氷川神社である。ここは徳川吉宗が産土神として一ツ木より移したものである。境内は広く、勧進相撲も行なわれたことがあるという。また、時代劇の撮影にもよく使われていた。
鬱蒼としており、昼も暗い。落雷にあったという大銀杏がある。かつては梟も生息していたというが納得をする。さすがに、物心付いた頃には梟はいなかったものの、甲虫や蝸牛、蝉などはいた。特に、蝸牛は幼稚園に入園する前に、ある日曜の雨の午後、父親に連れられて観察に来たことがある。
もうひとつは、隣町にある山王日枝神社の裏にあった池である。この池は八十年代に埋め立てられ駐車場になってしまったが、ここには、やはり夜の八時を回った時分に、父と共に懐中電灯を持って、入園前におたまじゃくしを観察しに来たことがある。今から思えば、かなり暗く、よくそんな子供を夜に連れ出したものと思う。
こう振り返ると、故郷には意外と生物が生息していたといえる。それが今ではどうだろうか。蝉の鳴き声しか聞こえない。蝉はどういうわけか、郊外には少なく、都内の方が鳴き声を聞く。樹木の関係か。何はともあれ、鳴き声は故郷を思い出させる。
(第百六段)
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by akasakatei | 2003-07-21 13:53 | 余暇 | Comments(0)

故郷情景夏夜空(あかさかふどきはなびみ)

 もう花火大会の季節である。最近、都内では活発に行なわれているけれど、一時は珍しいものであった。
 故郷での花火の思い出はアメリカ独立記念日と関係が深い。というのも、故郷には大使館が多い。当然、住んでいる外人もいるわけである。
そのうちのひとつのアメリカ大使館は、宿舎を氷川神社の側に構えており、そこの連中が独立記念日に近い日曜日ともなると花火を打ち上げるのである。
我が家から大使館宿舎まで五百メートルほどだったが、当時は高い建物も少なく、正面桟敷として大いに楽しませて貰ったものである。大体七時過ぎから始まって、九時頃まで興じていたようである。花火の音を聞くと、二階に集まり、窓を開けて眺めたものである。不思議と近所の連中が見物していた印象はない。夜空に咲く緑や赤のそれは大層美しかった。今でも、打ち上げているのであろうか。
それにしても、故郷の空は広かった。よく都内の空は狭いというけれど、それは高層ビルの間から眺めるからで、緑のある場所やそう高くもないビルの間からだと異なる。また、故郷は坂が多く、その上の空も広かった。
我が家の場合は向かいが先にも書いた通りアパートであり、左手が空き地だったことも関係するのだろう。
今でも花火の音と大輪は鮮やかに残っている。
(第百五段)
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by akasakatei | 2003-07-20 13:52 | 余暇 | Comments(0)

故郷情景手習所(あかさかふどきしょうがっこう)

 納戸を整理していたら、小学校の図工で作った作品が出てきた。これは友達の顔を粘土で作った像である。モデルは佐貫の酒仙であり、題名は「なあんだよー」である。五年の時のものである。
 一見、この題名はおかしいが、これは当時流行っていた言葉で、口を烏天狗のようにして言うのが特徴である。この他には「げんね」もよく使っていた。これは謝罪に使う。つまり「ごめんね」である。
 ところで、最近、ある本を読んでいたら三、四年の時に国語の教科書に載っていた作品に再会した。今西祐行氏の『一つの花』である。これは学校で習ったことよりも、塾での勉強の方が印象に残っている。というのも、どういうわけかその塾では、何人かの生徒が予め先生役として下調べをしてきて、その上で当日他の生徒が分からない個所を質問してきたら答えるというような学習法を行なっていたためもある。とはいえ、それ以外の作品に何があったのかは覚えていない。内容は覚えていても、題名が分からないものもある。たぶん、今回のように再会してみて思い出すのだろう。
 こう振り返ると、小学校に何しに行っていたのか。あまり楽しかった記憶もない。その小学校は檜町小学校といったが、現在廃校になり、建物は新しく地域周辺の学校を統合して、創立された赤坂小学校のものになっているが、プールは温水になっていることもあり、地域住民に開放されている。また、教室の区切りもなく、新しい実験が試みられているという。
(第百四段)
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by akasakatei | 2003-07-19 13:51 | 余暇 | Comments(0)

地元歩時間(きたみさんさくき)

 梅雨に入った初めての日曜日の午後、仕事場のトイレに置く消臭剤を捜しに地元の商店街に足を向ける。仕事場は東京の中心にあるため、そこでは扱っていない店が多いのである。
 目的物を最近出来た百円ショップで見付ける。が帰るには未だ時間も早い。雨が落ちてきそうだったが、町を散策することにする。どうせならば、滅多に来ない方を歩きたい。
 そこで商店街の外れまでを行くと、古めかしい冠木門の小奇麗な三階建てのマンションがある。何時出来たのだろう。記憶にはないが、この取り合わせは珍しい。
 外れから世田谷通りを越えると、今度は近くに踏切があることを示す標識が現れる。そこに鉄道はなく、探してみると、個人宅の駐車場で錆びた警報機を持つ踏切が門の代わりをしているではないか。その側には安全第一と書かれた工事現場にある虎模様の柵まである。
 更に先に進むと、四十年代の車が停まっており、また忘れられた感がする三軒続きの平屋の貸家などが目に飛び込んでくる。
 何時の間にか、周辺は畑になっており、先には氷川神社のうっそうとした樹木が見える。
 この氷川神社は八十八年正月に社殿が火災によって燃えてしまっている。あの時、初詣をした人はどういった気持ちで一年を乗り切ったのであろうか。その社殿はその後再建され、それから十年以上の時が経過したこともあり、黒ずみ始めている。
 ここに来るまで時間が止まってしまった感覚に襲われたが、神社ではその流れを再び感じる。
 烏の鳴き声だけが頭上より聞こえる。見上げると、普段、ごみを漁っているそれよりも太っていない。
(第百三段)
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by akasakatei | 2003-07-16 13:49 | 余暇 | Comments(0)

故郷情景寺(あかさかふどきなつ)

 故郷には意外と寺が多く、檀那寺はTBSの裏にあった。何でも、江戸年間には既に建立されていたという。確かに切り絵図を見ると存在する。当時も同様に寺の数は多い。特に、一ツ木辺りに集まる。
 現在、このうちのいくつが残っているのかは知らぬが、檀那寺も今日では戸塚方面に移ってしまい、住職も代わってしまった。バブルの時である。
 前住職についてはいくつか思い出がある。幼稚園に入園する前だったか。彼岸、盆など檀家回りの時に、近所の菓子屋で買ってきたであろう、キャラメルやチョコレートなどを貰った記憶がある。また、これは高校時代か、いきなり新聞の地方版に写真が掲載されており、何事かと記事を読めば勲章を受章したとある。それで、初めて保護司もしていることを知った。後から、実話に基づいた不良を扱った某ドラマの主人公についても担当していたと聞いた。
 何はともあれ、故郷にいた頃、寺について考えたことは、夏に本堂で昼寝をしたらどんなに快適であろうかということであった。本堂は風通しが良く、蝉の鳴き声を聞きながら横になっているのは、如何にも贅沢な時間と思われる。
 ところで、一度、戸塚まで寺を訪ねたことがあるが、現代的なコンクリート建築で、墓を売り出している張り紙が印象に残っている。暑い夏の日であったが、そこには木造の温もりがなく、あまり昼寝をしたいとは思わなかった。コンクリート建築は、この国では向かないということかもしれない。
(第百二段)
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by akasakatei | 2003-07-12 13:47 | 余暇 | Comments(0)

故郷情景人力車(あかさかふどきげいしゃ)

 人力車は今や観光地に行かなければ、見られないものになってしまっているが、故郷では夕方ともなると、人力車を普通に見掛けたものである。勿論、乗っているのは芸者である。会社員がタクシーとして使っているのではない。外部の人からするとどうか分からないが、生活の場に芸者がいたこともあり、違和感を覚えたことはない。前にも書いたが、真向かいにおり、また隣家もそうであったし、近所には他にも何人か住んでいた。どの芸者もいつも着物で過ごしていた印象がある。
 町の人からは姐さんと呼ばれており、そう大きくもないけれど、小さくもない家に住んでいた。庭には池があり、金魚が泳いでいたりする。何回かお邪魔したことがある。
 こうした環境で育ったわけだが、不思議と姐さんたちが稽古をしている様子は知らない。たぶん、そうしたお師匠さんの所へ行っていたに違いないのだが、近所に稽古場がなかったからだろう。
 現在でも、人力車が走っているか否かは知らないけれど、小学校時代に見たその光景は良いものであったと思う。尤も、子供だから、もうすぐ暗くなることもあり家路を急いでいたので、気が焦っていたことも手伝い、のんびりと眺めていたわけではない。むしろ、車夫が引いていくものであるわけだから、すぐに通り過ぎてしまう。人力とはいえ、それなりに速かった。これはマラソンを考えれば納得するのではないかと思う。
その頃は、何気ない日常として気にもしなかったけれど、この年になると懐かしさを覚える。失われて欲しくない光景である。
(第百一段)
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by akasakatei | 2003-07-09 13:46 | 余暇 | Comments(0)