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故郷情景乗合車(あかさかふどきおかぶね)

 歌舞伎座からの帰り、思いついて故郷まで歩きたくなった。経由としては、新橋、虎ノ門、山王下とする。途中、金刀羅社に寄ってもみたい。
 これはかつて故郷を走っていた都バスの「東72」系統のそれに近い。現在は千代田線が足となっているが、その開通は昭和四十七年である。けれども、地域の住民がよく利用したのは、地下鉄開業後もバスであった。けして利用し易かったわけではない。御多分に洩れず、よく遅れていた。思うに、高齢者が多く、地下鉄の階段が辛かったのではないだろうか。また、結んでいたルートが便利だったこともある。東京駅八重洲口を出ると、有楽町、新橋、虎ノ門、山王下、赤坂、乃木坂、青山、神宮球場、代々木、新宿駅西口である。バスが走り出した頃は東中野駅まで行っていたというが、物心付いた時には既に新宿までであった。
それにしても、かなりの距離である。さぞかし、運転手も疲れたと思われる。特に、乃木坂付近は有名なくねり坂である。下りの場合など、運転手が技術の見せ所とばかり、得意そうにハンドルを握っていたのが印象に残る。
 このバスについては、昨年佐貫の酒仙とも話したが、銀座や八重洲などに行くために利用することが多く、新宿への思い出は一回くらいしかない。こうしたこともあり、未だ新宿に対し郊外のイメージがあるのかもしれぬ。とはいえ、新宿まで行かなくても青山や神宮球場までは何度も利用したことがある。
 何はともあれ、故郷を語る場合、このバスに関しては触れないわけにはいかない。
(第九十五段)
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by akasakatei | 2003-05-31 13:38 | 余暇 | Comments(0)

平成入涼丹(とうせいいりょうじじょう)

 金曜の夜、原稿が書けず、頭を掻き毟っていたところ、後頭部にシコリを見つける。押さえると鈍痛がする。見えないこともあって、何か悪い病気を予感させる。
 早速、明日は病院に行こうと思ったものの、この場合、どの科の門を叩けばいいのか、一瞬戸惑う。外科か皮膚科か、それとも脳神経外科か。それとも、まずは内科に行ってどこかを紹介して貰うべきなのだろうか。
 そう考えているうちに、明日は十一時から国立劇場で前進座の芝居に行くことを思い出す。そうなると、午後まで診療しているのは脳神経外科ということになる。どういうわけか、最近、土曜の午後は休診という病院が多い。
 芝居後、脳神経外科の門を潜る。大袈裟な気がしなくもないが、同じ頭部なので問題はないであろう。
さて、担当医は患部に触った後、CTに撮ってみるという。これは初めてある。なにやら、SFに出てきそうな装置である。寝台に横になると、それが上部に移動し、断層を検査する仕組みであり、寝台が上部に移動する感じは、焼き場におけるそれを彷彿させる。多分、棺桶とはそういうものなのだろう。
それにしても、皐月に入り通院ばかりである。内科、眼科、歯科、耳鼻咽喉科に、そうして脳神経外科である。医療費が上がった今年度、すぐに財布が軽くなる。
(第九十四段)
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by akasakatei | 2003-05-25 13:37 | 余暇 | Comments(0)

故郷情景塔(あかさかふどきやぐら)

 先日出来たばかりの六本木ヒルズを訪れた人が、連休の影響もあり約三百万人近かったという。国分寺の師匠も早速足を運んだという。
 幼少時代より知る者にとっては、これは寂しい限りである。確かに、こうした新しい施設は地域に経済的な潤いをもたらすだろう。お台場をみれば分かる通りである。けれど、そこには失われてしまった大事なものがあるに違いない。それが辛いので、子供の頃にはよく行ったお台場には最近は全く行っていないし、たぶん、六本木ヒルズにもそれを目的として出掛けることはないであろう。
 小さい時の記憶は鮮明である。今でも、故郷・赤坂のイメージといえば、芸者、外人、浮浪者、商店街、神社、空き地、テレビ局である。オフィス街や飲食店のそれは薄い。
 これらのうち、今でも通用するのは外人とテレビ局であろう。だが、前者は兎も角、後者についてはその雰囲気は明らかに異なる。というのも、今でこそ東京タワーより電波を流しているものの、それが出来る以前は、各テレビ局で放送塔を持っていて、赤坂にもそれがあったのである。かなり高いものであり、小学校の屋上より東を眺めると、晴れた日など空に朱色の塔が映えたものである。六年生の図画の授業で、土曜の二時間目にそこで写生したのを覚えている。当時は中学受験で忙しく、唯一の息抜きだったと記憶している。情景が目に浮かんでくる。友はどうしているか。小学校より今も付き合いがあるのは佐貫の酒仙だけになってしまった。
(第九十三段)
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by akasakatei | 2003-05-24 13:36 | 余暇 | Comments(0)

八雲聞(くにづくりのすえ)

 唐土において伝染病が猛威を振るっている。かつてはよく見かけたものだが、医学の進歩もあり、すっかり忘れていた光景である。こうなると、人間の行なっていることは、いつでも変わらないともいえるだろう。そこで誤った道を進まないためにも、歴史を勉強するわけだが、結局は同じ事の繰り返しになることが多い。突き詰めていくと、社会とは何かとなってしまう。
 社会とは即ち文化とも言い換えられる。これは様々であり、社会によっては対立をすることになる。先のイラク戦争もそうだが、先日の米朝も同様である。
 これらから導かれるのはどちらも絶対的に力のある指導者や神を持っていることである。異端を排除する仕組みになっていることである。これはかなり危険であり、しばしば過激な行動を取りやすい。
 反面、これが我が国だと、八百万神の存在が大きく、このため何でも受け入れ易い体制になっている。事実、耶蘇の神の祭りを祝って一週間も経たないうちに新年を迎えたりする。
 こうした社会は珍しく、国際的に誇れるものであったが、地下鉄S事件以降そうでもなくなった。実際、今話題になっている謎の白装束集団についても、世間の見る目は厳しい。
 トラブルを起こす宗教団体を調べるとよく分かるが、それらは一神教であり、狂信的なところが多分にある。排他的なわけだから、合い入れなくて当然であろう。 
 それにしても、これほど宗教が盛んな裏には、よほど自信が得られない心理があるに違いない。所詮、神は人間の想像したもので、かつては規範的な意味を持っていたが、現在では心のよりどころだけである。信仰を持つ者はそれに気付く必要がある。
(第九十二段)
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by akasakatei | 2003-05-21 13:35 | 社会心理 | Comments(0)

丸子報文梨(まるこばなし)

傘が壊れた。見れば骨が折れている。このまま捨てるのも嫌なので、修理に出そうと思い、傘屋を探す。地元の商店街を除くもそれはない。確か、数年前にそこで買った記憶があるが、どうやらその間に店仕舞いをしたらしい。そこで、電話帳を引っ張り出す。
驚いたことに、二件しかない。それもかなり遠い町である。この現実の前に声も出ない。
遅まきながら、傘でさえ使い捨ての時代になり、かつてのように大事に使う風潮がなくなったことを嘆く。草双紙の妖怪はどういう気持ちであろうか。傘で有名な妖怪はあの一つ目で一本足のそれである。あの種の妖怪は物を大事にしないと出てくると言われている。考える時代でないか。
つい先日、佐貫の酒仙と大田区にある某博物館を再訪した。酒仙は最近家屋に関心がある。博物館には昭和における庶民の生活用品が展示されている。その建物もかつての住宅を使っている。そこにある物は、ついこの間まで、我々が使っていたものである。気付いたら、見かけなくなってしまったものばかりである。
特に目を引くのが、部屋の仕切りにおける段差である。酒仙はバリアフリーではないと言ったが、民俗学的にはこれは当然であり、違和感はない。むしろ、ない方がおかしい。
消費社会の下、誰かによって仕掛けられた流行を多くの人が追いかけるけれど、冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい。経済社会に踊らされているだけで、孫悟空と変わらない。ここらで立ち止まって、見直すべきであろう。もっと、文化や慣習などを大事にしたい。
(第九十一段)
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by akasakatei | 2003-05-16 13:34 | 産業 | Comments(0)

富留砂(ばしょうよみてんのそら)

かつて都区内に住んでいたことがある。某テレビ局があるところで、最寄駅は地下鉄のA駅である。あの頃は、その終点についてかなり郊外のイメージを持っていた。それが引っ越すことになった。 新しい地はその終点からもっと郊外である。こうなると、都落ちの感さえしてくる。事実、現在地に越してきたその日など、車の音はせず、人の話し声も聞こえず、逆に静かすぎて眠れなかったほどで、この感覚は間違っていないと思う。
その郊外に住んでいる期間を数えれば、都区内にいたそれよりも長くなっていることに気付いた。だが、郊外について故郷とする思いはない。これは地域に関する思い出がないからであろう。都区内は生まれ育った場所だけに懐かしさがある。
このところ、昭和三十年代に関心が持たれているようであり、その種の書物も発売され始めている。その多くは当時の都区内における写真であるが、記憶されていることもあり、故郷に帰りたくなる。
ただ惜しいのは現在との比較写真がないことである。同一の定点からのそれがあれば、より時を感じることが出来たに違いない。
その時に関しては、近代の小説を読むと意外と感じられる。郊外に越した作家の心情が色々と綴られているけれど、それらの舞台を探してみると、山手線よりちょっと外側だったりする。町の発達が分かるのである。
 とはいえ、郊外には思い出はない。住めば都とはいうものの、やはり故郷の水が一番良い。
(第九十段)
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by akasakatei | 2003-05-09 13:31 | 余暇 | Comments(0)

大金錦(ねりまどひょうだより)

過日、Y新聞出版社の主催による相撲部屋見学会に参加した。内容は稽古見学とちゃんこである。場所は練馬にあるM部屋である。
相撲部屋は一般的には国技館がある墨田区に存在すると思われているが、新しい部屋は郊外に構えている。出稽古などを考えれば、
多くの部屋が集まる墨田区が便利には違いないだろうが、この時代に、いくら土地が安くなったとはいえ、維持は厳しいと思われる。
 M部屋は創設されて十五年であるが、未だ関取は生まれていない。そのため、多くの人に知られている力士は在籍していない。このため、八時集合ということもあり何人くらい見学に訪れるのか心配していたが、約四十名が集まる。そのほとんどは年配の男性であり、若い女性はいない。逆にいえば、好角家ばかりである。稽古を見る目は厳しいが、暖かいものがある。響くのは力士の息遣いだけである。
十時に稽古が終わり、食事会となる。六人でひとつの卓を囲む。
メニューは肉じゃが、鯖の塩焼き、コロッケ、サラダ、鳥鍋である。ご飯はコシヒカリである。朝食抜きが多いのか、皆エビスコが強い。皿の上のものがすぐになくなる。鍋の味はあっさりしている。親方によれば、健康維持のために濃い味付けではないという。かつて、ちゃんこは栄養を摂るためだったが、現在では摂りすぎということなのだろう。
お互いに見ず知らずでも、一緒に食事をすれば和やかな雰囲気になるのは不思議である。そこでは稽古で元気がなかった力士に声を掛けている人もいるし、また書道セットを持ってきている人もいる。その人によれば、色紙に親方のサインを貰うためだという。他にも写真名鑑で力士を調べている姿を見る。
今回、相撲部屋への好奇心より訪れたのは、自分以外に見受けられない。相撲人気の低迷が囁かれて久しい。これまで場所を観戦したのは一回だけなものの、稽古に接してみて実際に足を運びたくなったほどである。こうした企画を地道に行なえば、好角家も増えていくと思われる。                
(第八十九段)
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by akasakatei | 2003-05-07 13:29 | 文芸 | Comments(0)

癸未花双六桑名(はなめぐりくわな)

 上飯田線を完乗し名古屋に戻る。次は、この四月より近鉄より三岐鉄道になった北勢線に乗るつもりである。
 この線に乗るには桑名に隣接する西桑名まで行かなければならない。名古屋からだと、近鉄やJR関西線で一本で行けるものの、今回は名鉄経由で弥富に出、そこからJRで入ることにする。
 新名古屋から弥富までの急行に乗り、JRで桑名に着いたのが九時三十七分。西桑名に向かう。そこはわざわざ「西」としなくてもいいほどの距離である。
 時刻表を見ると、終点の阿下喜まで行く電車は十一時半までない。
この間、町を回るのもいいかも知れぬが、二時間近くは勿体無い。JR駅前に戻り、三重交通バス路線図を眺めると、丁度良いことに五十分発の阿下喜に向かうバスがある。ただ駅前に行くのかどうか分からないし、また所要時間も確認する必要がある。そこでバス会社に足を向けると、何とか阿下喜からの折り返し電車には間に合いそうである。これもナローゲージだからであろう。
 バスは途中北勢町までひとつの停留場にも止まらない。裏を返せば、マイカーが発達しているので、公共交通には厳しい地域ということになる。
 四十分ほど乗り、阿下喜に停まる電車を見た時には正直ほっとする。三岐鉄道になったとはいえ、駅名板や社員の制服が変わっただけで、車輌もダイヤもそのままなので、頭では分かっているのに、近鉄の錯覚が未だにある。想像だが、社員の心境も似たようなものに違いない。現在は出向の形と思われるが、何れは転籍になるのだろう。結局、錯覚が抜けぬままに西桑名に到着する。
(第八十八段)
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by akasakatei | 2003-05-02 13:28 | 余暇 | Comments(0)