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昂志貴(ほしに)

壬午ももう神無月廿日を過ぎた。気配はすっかり冬である。それにしても、今年ほど季節を楽しめなかった年も珍しい。かつてなら、間違いなく記録されただろう。昨今異常気象続きで感覚が可笑しくなっているのか、最早季節通りだと感動すら覚える。花見、月見、紅葉狩りなど、今後はどれだけ出来るのだろう。既に、雪見は遠いものになってしまった。
江戸の書物を紐解き、それらの記述を読んでいると、何とかそれらを体験したいという思いが募るばかりである。とはいえ、暇と金があれば、何とかなるのだが、残念なことにそうした境遇にはない。夢が適うのには未だ時間が必要だろう。
現在、生活の場において季節感を一番感じるのは芝居や寄席だろうか。演目も関係しているのだろうが、上手く表現していると思われる。
勿論、店屋やデパートに行っても、それらを演出しているけれど、季節を先取りしていることもあり、違和感を覚える。先日など、近所のスーパーにおいて、もう鏡餅を扱っていた。未だ、ひと月以上ある。気が早過ぎる。
何はともあれ、もっと季節に敏感になりたいものである。これがこの国の良さである。自然が少なくなっている今、せめて食くらいは四季を大切にしたい。
(第六十段)
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by akasakatei | 2002-11-24 12:51 | 余暇 | Comments(0)

魔苦主(じごくにほとけは)

某刑務所における日常的な暴行事件が問題になっているが、別段こうした行為が行なわれていても可笑しくはない。というのも、社会心理学における実験で、看守と受刑者に関するものがあるのだが、受刑者役になった被験者について精神的に不安定になり、実験を途中で中止にしたものがあるからである。この時、看守役になった被験者は、一般的な人にも拘わらず、制服を着た途端、態度が尊大になったということである。
こうした傾向は何も刑務所ばかりではない。裁判官、警察などの世界でもよく見られることである。
これらをもう一歩進めて考えると、どうやら法は人を守るべきものではないことに気付く。即ち、裁くためにあるのだ思えてくる。
かつて特高というのが存在したが、現在でもその精神は変わっていないのかもしれない。事件を解決するために、ありとあらゆる罠を使い、何も知らぬ人間を犯人にすべく、そこに落とすという。
弁護士によると、身を守れるのは自分だけだという。例えば、冤罪だったとしても、犯人に仕立てた人間が生きている限り、それが覆ることはないという。というのも、その関係者の幸せが壊されるからだという。理不尽な話である。
以上よりの事情を考えると、現在某国の拉致事件について、早期捜査が行なわれなかったことに対し、政府機関において何も語られていないのはこうした経緯があるからに他ならない。
(第五十九段)
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by akasakatei | 2002-11-20 12:50 | 政治 | Comments(0)

胃蝕努得厳(しょくはふだんのおこないにあり)

経済は専門ではないけれど、現在のこの閉塞感はどうであろうか。未だ、かつてこの国はデフレーションを経験してこなかったこともあり、長期間研究がなされてこなかった。不況より抜け出せないのはそうしたためもあろう。
町に出れば分かるが、確かに安いものが目立つ。ファーストフード、洋服、眼鏡など、以前では考えられなかったことである。
一見、この傾向は好ましいようだが、実際にはそうでないことは様々なメディアが伝えている通りである。
ここでは、食について考えたい。偶には、国分寺の師匠の電脳頁に相応しい題材もいいだろう。
結構周辺を見ると、ファーストフードを昼食に利用している者が多いのだが、その栄養面を考えた場合、健康にはどうなのでろうか。はっきりいって、油分が多く、健康には良くないのではないだろうか。これは長期的な視点でみれば成人病を引き起こし兼ねない要素である。確かに、現時点では食事を安く済ますことは、それだけ財布に残るわけだから歓迎すべきことかもしれない。が、将来的にはその分医療費が増える可能性もあるとわけである。
これについて如何に捉えるかは本人の価値観によるわけだが、他にも間食にスナック菓子や清涼飲料水を摂るなど、食生活の乱れが懸念される。三度の食事が理に適っているならば未だしも、現代人は純和食を口することさえ珍しくなった。食事のほとんどは洋食である。
ある研究者によれば、西洋人と日本人では内臓の仕組みが異なるようで、洋食は向かないという。
こうしたことを考慮すると、もう少し食事を大事にする必要がある。病気になってしまってからでは遅い。
(第五十八段)
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by akasakatei | 2002-11-14 12:49 | 産業 | Comments(0)

子都家(こしにひかるは)

千代田区において、路上における喫煙に関して条例が出来たけれど、歓迎すべきことだろう。喫煙者の道徳の無さは最早疑い様のない事実である。これまで、その証拠に携帯用灰皿をどのくらいの人が所持していただろうか。たぶん、何十人にひとりという感じであろう。そうでなければ、あれほど路上が汚れるはずがない。
今回の条例の特徴は罰金を伴うことである。違反者の中には、知らなかったと言い訳をしたり、摘発者の言葉を無視して罰金を支払わない輩もいるらしい。見苦しいのひと言である。そういった態度をする者が多いことを考えると、罰金も止むを得ないことではある。同情の余地はない。
更にいえば、こうした条例は全国的に設けて貰いたいものである。事実、様々な自治体から問い合わせが来ているという。 
 尤も、こうした法を整備したとしても、根本的な解決にならないのは残念である。その根底はその人自身の価値観や性格によるところが大きいからである。
 では、どうして路上を汚すのか。
 人によって色々答えるだろうが、要は社会的ジレンマ論で説明出来る。本人は合理的に行動しているつもりだが、全体におけるその影響に関していえば、マイナスとなっていることに気付いていないからである。つまり、相手の立場や全体を見回す思考が身に付いていないのである。
(第五十七段)
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by akasakatei | 2002-11-06 12:47 | 社会心理 | Comments(0)