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努苦自(あきのよの)

秋の夜は読書に限る。特に、古典を楽しむには最適である。昨今、古典を敬遠する向きがあるけれど、今読んでみても、多少風俗に古臭さを感じるものの、そこには人間社会の営みにおける普遍が描かれている。それで、面白いのだろう。また、確りとした言葉で表現されていることもある。だからこそ、時代を超えて残っているに違いない。
先日の新聞によると、ひと月に全く読書しない人もいるという。周辺をみても、美濃の役人は子育てに追われて、それどころではないという。佐貫の酒仙になると服飾雑誌だけとなる。はっきりいって、服飾雑誌を読んでもこれは読書ではない。こうしたものは、目を通すというべきで、読書とは一線をかくする。
それにしても、古典を読めば分るけれど、目に付くのは更に古い書物からの引用である。それも、特に断りもない。つまり、それは当時の常識だったことが分かる。こうした傾向は、書物だけではなく芝居にもある。こうした遊び心は重要であり、教養の程度を示すものだろう。現代風に言えば、パロディとなるが、今盛んなのはアニメだという。作品によっては、各話で過去のアニメで使われた場面を再現しているという。
何はともあれ、先人の業績を知ることは無駄でもない。例えば、学問もそれらの蓄積であり、最後に独創的な発想が求められるが、これは何も学問だけではなく、全てに共通することである
(第五十六段)
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by akasakatei | 2002-10-31 12:46 | 文芸 | Comments(0)

腑思戯(ひとつにみちびく)

以前、人魂に遭遇したことについて書いたが、今度は人による不思議なからくりが解けないでいる。
例えば、自宅でも職場でも構わないのだけれど、休み明けなどの様に、その日、自分がそこに入るまでは誰も入室出来ない空間において、明らかに退室する前の状態と異なっている雰囲気だったことはないであろうか。
先日、そうした経験をした。それは仕事場においてなのだが、朝来てみると、女子便所の戸が開いており、またごみ箱の中のごみがなくなっており、ご丁寧なことに新しいごみ袋に代えられていたのである。
色々と状況を考えるものの、ごみを持っていく奇特な人間などまず考えられない。ただひとつはっきりしているのは、女子便所に香水の匂いが残っていたことである。手掛かりはこれだけである。
ここで整理してみる。仕事場は都内の雑居ビルの三階にある。その目の前には交番があり、怪しい人間はすぐ目に付くはずである。部屋の鍵は他に管理人が持っているだけだが、その管理人は休暇で茨城へ行くと金曜日に聞いている。戻りは翌週の水曜日だという。
一体、誰が、何の目的で、どうやって入ったのか。誠に落ち着かないことである。
まさかストーカーではないだろう。 
念のため、便所には窓があるので、そこを確認するも完全に鍵が掛かっている。第一、隣のビルの壁面に接しているので人ひとりが潜り込む余地さえない。
狐に化かされている気さえしてくる。江戸の怪奇現象とはこうしたものだったのかもしれぬ。
(第五十五段)
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by akasakatei | 2002-10-23 12:45 | 社会心理 | Comments(0)

誇志都(ちょきぶねもいまはむかし)

先日、さいたまの地主と三ノ輪より吉原を通り浅草へと抜けた。土曜の夜であったにも拘わらず、人通りはほとんどなく、吉原周辺では呼び込みばかりが目立つ状況であった。不況だからであろうか。そこを歩くのは初めてであり、詳しいことは知らないが。
閉口したのは、三ノ輪の蕎麦屋で麦酒を口にしたためか、歩いている途中で小用に行きたくなったことである。量は小一時間に中瓶二本くらいであったものの、神無月に入ったこともあってか、近くなったようである。
それにしても、都内で厠を探すのは難しい。公園に行けば、間違いなくあるけれど、最近のそこは危険である。時間的には十九時くらいで、そんなに遅くないけれど、場所柄もつい考えてしまう。頭に過ぎるのは、オヤジ狩りや拉致である。
拉致といえば、かつて地主は学生時代を富山で過ごしたが、海の見える某公園は某国に拉致される場所として、町の噂になっていて誰も近付かなかったという。また、バイト仲間で危うく拉致されそうになった人もいるという。
その手口とは、居酒屋で人当たり良く近付き、住所、電話番号を巧みに聞き出し、後日行き成り大勢の某国人が家に押し掛けるものだという。こう考えると、北陸近辺にはかなりの人数の某国人が入り込んでいることになる。
君子危うきものに近寄らずというけれど、正しくその通りだと思う。結局、駅まで我慢した方が身のためである。もう少し、安心出来る厠が作れないものか。用を足す時くらい、のんびりとしたいものである。
(第五十四段)
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by akasakatei | 2002-10-16 12:44 | 余暇 | Comments(0)

両国之稲荷(かぎやたまや)

世間では暗い話題ばかりが続いたが、今週は久し振りに明るい話題があった。ノーベル賞である。同年ダブル受賞は初めてだという。
近年、この賞も誠に評判が悪かった。 
というのも、文学賞においては、何年毎にどこの地域の作家というように割り当てが決まっているという噂が囁かれている。極端な話、これは充分に信憑性がある。何故なら、文学は理系と比べ、一端翻訳しない限り選考関係者には伝わらないからである。だが、その翻訳も原文通りに細かいところのニュアンスまで伝達出来るかといったら疑問である。我が国で、現在翻訳されているものを読めば一目瞭然である。悪文が多いこと、この上ない。そうしたこともあり、受賞は西洋を中心として、その他の地域は忘れた頃に与えるようにしているらしい。これに悲観して、某は割腹自殺したともいわれている。
また平和賞についても、金で買えるという話すらある。ついこの間も、某新興宗教の教祖に平和賞を取らせるために嘆願署名の依頼があった。察するところ、その署名を然るべきところに提出をし、受賞させ、その見返りに幾らか払うということなのであろう。その某教祖についても、兎角叩けば埃が出てくるようで、平和に貢献したかどうか甚だ疑わしい。
何はともあれ、こうしたことに左右にされないで選考を行なって貰いたいものである。尤も、ノーベル賞自体、ダイナマイトを発明したノーベルが、戦争に使われ、死の商人として呼ばれたことへの罪滅ぼしとして創設された経緯もあり、こうした不正があっても可笑しくはないのかもしれない。
(第五十三段)
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by akasakatei | 2002-10-11 12:42 | 国際 | Comments(0)

秘等香言無(くものないすんだそら)

何が真実であるか分からないのが現代社会である。下手をすれば、それが藪の中となってしまう危険性さえある。情報が氾濫していることにも一因がある。
 例えば、ついこの間まで江戸だったわけだが、その当時どういう生活だったかはっきりしていないことも多い。調べてみると、書物については孫引きだったり、通説は言い伝えだけであったりして、真相を知るのは簡単ではない。情報が少ないから難しいのではなく、信じるに足る情報がないから困難なのである。
 江戸でさえそうなのだから、これが現代社会になると、書物は勿論、テレビやインターネットなど情報を得る手段は無数にあるけれど、どれを捨て、何を拾うかが課題となる。ここで間違うと、真相に辿り着けないばかりが、更に出鱈目な情報が発せられる可能性が高い。
 情報といえば、最近世間を騒がせているのが某国である。あれは反対に、この時代には珍しく、少ない情報が錯綜しているといえる。新聞などから察すると、そのほとんどが某国からの発表のようだが、あれはまず信憑性は薄い。これまでのその経過からすると当然である。各マスコミなどによると、我が国にある某国学校が色々嫌がらせを受けているというが、国民感情からすれば納得はする。というのも、所謂、某国の出先機関ともいえるからで、そこでは某国の教育が行なわれており、我が国の今回の問題における間諜を行なっていた節さえ見受けられるからである。
 何はともあれ、この時代真実を見極める目を養うことは大切である。
(第五十二段)
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by akasakatei | 2002-10-03 12:41 | 情報 | Comments(0)