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鼓出水鐘語(あめをもとめ)

来月首脳が訪朝するニュースには正直驚かされた。世の中は分らないものである。冷戦時代、まさかソ連が消滅するとは考えたことさえなかった。独逸統一も同様である。
社会は変わるものであり、現在はその過渡期ということであろう。これについて、日常の何気ない幸福を望む者としては歓迎し難い。ただ、これまでの歴史からそれについては理解していたことであり、民にとって暮らし易い世を希望したい。
来年は江戸幕府開府から四百年である。この長い年月のうち三百年近くが江戸時代である。その安定さが分る。人々はいつでも平和で安全な時代を求めている。今度の訪朝でもそれを期待する。
こう言葉にすると簡単だけれど、その課題は山積みであり、まずは過去の清算が重要になってくる。江戸までは半島との関係も友好的であり、明治以降、脱亜入欧を目指した故に、後の人々が苦労をしているのである。そうしたことからすると、先に新札の肖像について発表があったけれど、現一万円札の肖像は残すべきではなかったに違いない。
新札が出たので、序に触れておくと、代わる二種とも、その人選は意外であり、子供に生前を訊かれた場合、返答に窮することだけは間違いないと思われる。尤も、ふたりとも人間らしさがあって親しみを感じる人もいるかもしれぬが。
何はともあれ、我々は戦前の人間のような後の世代に迷惑をかける、戦争は勿論のこと、科学の発達についても責任を持たなくてはならない。
(第四十七段)
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by akasakatei | 2002-08-31 12:24 | 国際 | Comments(0)

苦労州(しゃそうより)

佐世保へ所用のため出掛ける。長崎空港より大村駅に出、そこより鉄道で向かったのだが、先日の北海道と比べて未だサービス業としての自覚はある。乗務員や駅員など、細かい気配りを感じられる。この会社は以前より喫煙車より禁煙車を増やすなど、画期的な試みで知られる。また、車輌も快適なものを走らせている。快速列車なのに、指定券が必要な列車と勘違いしている人を見たことがある。今後も注目をしたい。
 車窓を眺めると、教会が目立つ。歴史を思い出す。それなのに、何故米利堅はあのような非道な行為を行なったのか。戦争を早急に終結させるためというのは理由にはならない。相手国を考えていない。昨年のテロ攻撃を受け、その気持ちが理解出来たのか否か。たぶん、出来ていないだろう。報復にしか頭が働かないようでは、この世界から戦争はなくならない。
 先の戦争で我々はあまりにも多くの大切なものを失った。それは最早元に戻せない。日々の何気ない幸せさえ奪ってしまう。小さいことかもしれぬが、ひとりひとりにとっては重要である。
 そうした幸福は、これまで国の発展のために犠牲にされてきた。東京でかつての面影を探すことは不可能になってしまった。古里とする者としては寂しい。
 これまで維新、震災、戦争、オリンピック、バブルなどにより、東京は表情を変えてきた。震災以外は全て人の手によるものである。こうした背景を考えると、政治家や官僚の出身地も関係するだろう。
東京出身者ならそうしたことはしないはずである。住居表示だけでも昔のようにして貰いたいものである。
 東京散策もそうすれば多少は面白くなるに違いない。
(第四十六段)
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by akasakatei | 2002-08-25 12:23 | 余暇 | Comments(0)

解談丸稀談(やくもたつ)

暦の上では既に秋である。日中は未だ残暑だが、朝晩など秋の足音が聞こえ始めている。文月末頃の蒸し風呂状態だった暑さが嘘の様ですらある。
夏の思い出を振り返ると、ふたつほどこれまでにない経験をした。
ひとつは稲妻をこの目で見たことである。まるで、眼底における血管である。特に水平百八十度方向だったこともあり、尚更印象深い。マルチン・ルターの気持ちが分らぬでもない。その様な経験でもしなければ、修道士を目指すはずがない。尤も、そうなると宗教改革もなかったわけで今頃どうなっていたのだろう。
何はともあれ、鳴神と言われることだけはある。
もうひとつは人魂である。芝居以外ではお目に掛かったことがない。
その夜自宅近くのことである。前をふたりの高校生が歩いていた。行き成り三階くらいの高さにそれは現れ、野球でいうフラフラとした打球が落ちてくる感じで、芝居で見かけるそれとは明らかに異なるものである。気付いた若者のうち、ひとりは流れ星だといい、もうひとりは花火だといった。とはいえ、その青白さは燐の発火に違いない。仮に花火の落下ならば、先日佐貫の酒仙と大川で見たばかりである。消滅する際、掻き消されるようであったと記憶している。また、流れ星ならば、そんな低い位置に突然現れて、風に煽られるように不規則な落下運動をするであろうか。
別段、その正体は燐なわけだから、恐怖心はなかったが、それで感じたのは落ちこぼれの人魂だろうということある。かなり芝居や漫画・動画的な発想かもしれないけれど、現実ではこの間までなら考えもしなかったことが起こっているわけであり、突拍子な考えでもないだろう。
今の若者は夢がないのか、最後まで人魂とは口にはしなかった。
(第四十五段)
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by akasakatei | 2002-08-16 12:22 | 余暇 | Comments(0)

電気鼠(としのくれの)

引き続き、サービスについて小売業より考えてみる。
その店舗・甲はキッズ向けのキャラクター商品を主に扱っている。坂戸の図書奉行も姪にせがまれてよく行くらしい。場所は八重洲にある。
八重洲は一歩路地に入ると意外と道が狭く、自動車の通行量が多い割りには信号は少ない。このため、会社員やOLなどは自動車の流れが途切れるのを待って渡る人が目立つ。先の甲もそうした環境に店舗を構えており、長期休暇ともなれば親子連れの姿をよく見かける。
そうした親子連れに対し、店ではあるサービスを始めた。それはよくガソリンスタンドで行なわれているように、係が走っている自動車に対し頭を下げ停止させて、その間に顧客に渡って貰うものである。
一見、相手の立場を考えたサービスに見えるけれど、そこまで行なう必要があるのか。というのも、社会的ルールを無視しているからである。確かに、お金を払っているのは大人かもしれないが、そのターゲットは子供である。店が率先して、社会的ルールを破るべきではないだろう。大人が考えている以上に、キャラクターから受ける影響は子供にとって大きい。極端にいえば、人格形成を左右するほどである。
手本となる大人が減って久しい。子供はどこで見ているか分らないものである。悪い影響を残さないためにも、行動を考えて貰いたい。
そうすれば、自ずと先の甲のようなサービスはしないはずである。
(第四十四段)
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by akasakatei | 2002-08-09 12:21 | 産業 | Comments(0)

痴呆地獄絵巻抄(しろうふたたび)

四十一、四十二段に続いて、道内最大の鉄道会社を題材として駅の役割りを考える。
駅の機能とは、毎日利用する通勤・通学客をただ運ぶことだけではない。町の玄関としての顔もある。
例えば、その町を初めて訪れる旅行者にとって、それは第一印象にも繋がる。そこでどういった印象を持つかによって、その町に好意を寄せるか否かが決まる。
S駅に関していえば、それは最悪に近い。また、道内の他の駅、さいたまの地主の故郷・M駅やH駅も旅行者には優しくはない。各駅でこうした実情を見ると、社内教育がうまく機能していないか、教育方針自体が間違っているとしか考えられない。
振り返ると、ここまでひどかった鉄道とは、国鉄、S鉄道、かつてのK電鉄、T鉄道、T電鉄などが思い出される。
はっきりいって、道内の鉄道は旅行者に依存しないと存続の危機に立つものばかりである。それをないがしろにすると、次回からはクルマを使うことになるであろう。事実場所によっては、その方が便利かもしれない。ここら辺を理解していない。
こうした背景を探ると、未だに地方では駅員が地元の名士扱いになり、井の中の蛙となっている。感覚が中央とやや異なっている感が否めない。この意識が拭えるか否かにより、今後の鉄道それ自体も変わってくることであろう。それには、そこに住む人の意識改革も重要なことは当然である。
尤も、町の顔である以上は、地元民との交流は必要であるが、その面ばかりでないことを知っておくべきである。
(第四十三段)
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by akasakatei | 2002-08-06 12:19 | 産業 | Comments(0)

詐補賂(きたよりここにも)

前段に引き続き、S駅におけるサービス業としての問題点を考察する。
こちらより説明を求めると、必ず冒頭に「会社としては」か「北海道では」ばかりである。組織を守ることしか感じられない。牛乳会社のYを思い出す。北海道における企業の体質なのかもしれない。
また、S駅を辞する際、列車の遅れは回復しているはずとのことであったが、実際はそうではなく、五分も遅れていた。その点について、コレクトコールで説明を求めようとしたが、電話自体の接続を断られた。この辺からして、サービス業としては失格である。つまり、利用者からのコレクトコールは、まずクレームということである。それを認識していない点で問題である。あまりにも怒りが大きいからこそ、そうした手段を用いるのである。S駅の対応は火に油を注ぐだけである。二度と利用する気になれない人が大半であろう。
北海道は、今の時期観光シーズンである。あちこちで、旅行者を見かける。そのうち、どれだけの人が満足しているか。多分、口には出していないが、その多くが不快になったに違いない。
現在、文書によりS駅に回答を求めているが、まず寄越さないであろう。助役と話したのは一時間ほどであったが、会社の体質がかなり垣間見えた。不信感しかない。誠実さは感じられなかった。
また、会社の財務関係の話にもなったが、無駄なところで費やしているようである。応接室など、革のソファーであり、二十人は入れそうな、高級なものであった。仮説だが、旅行者に接続列車へ乗せないようにして、銭を稼いでいる可能性すら否定出来ない。
初夏、柏の姉御に北海道を周るには「クルマか鉄道か」と訊かれ「飲むなら鉄道」と回答したが、失敗だったかもしれない。今度会った時、何と言われるか覚悟をせねばなるまい。
(第四十二段)
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by akasakatei | 2002-08-05 12:17 | 産業 | Comments(0)

奇苛異大遅(ほっさけんぶんき)

石狩へ行く。東都を出たくないのに、年に何回かは留守にしなければならない。戻ってきて思うのは、東都はやはり落ち着くということである。この理由を考えてみた。
今回、新千歳空港より、道内最大の鉄道会社を使い札幌経由で計画を立てたのだが、列車が三分遅れたために、S駅で乗り継ぎ予定の列車に乗れなかった。これは四分の接続時間があり、一般的には十分乗り継ぎが可能なものである。このため、後の計画が滅茶苦茶になり、空港で一度乗車変更していた指定券が無駄になった。
その対処について、一時間待ちとなり道内最大のS駅で助役に見解を求めた結果、驚くべきことが分った。 
まず、S駅では五分以上の時間がないと、例え列車が遅れても接続をせず、それが僻地を走るローカル線でも例外ではないという。この旨は、普通の時刻表には出ておらず、会社によると自社発行の時刻表には掲載済みとの説明である。その時刻表は大きな書店に行かないと扱っていない。旅行者の目に触れることは少ない。
また、列車が遅れるのは当然であり、そこら辺を計算して貰わなくては困るとのことであった。どうも、その会社では日常的に遅れているようで、それが当たり前との様子である。遅れに関する情報は、駅では勿論、車内においても終点間際でしかアナウンスをしていない。旅行者には不親切である。
以上より、結論を導くと、サービス業としての自覚が足りないとしかいいようがない。はっきりいって殿様商売である。結局、最後まで、サービス業ではクレーム時において常識の「ご迷惑をお掛けします」のひと言がなかった。
不快な思いをすることが多いので、成るべく地方には行きたくないのかもしれない。
(第四十一段)
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by akasakatei | 2002-08-04 12:16 | 産業 | Comments(0)