<   2001年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

天地扇(みやこがね)

 リニアを使っているといえば、山梨の実験線みたいに浮上しないものの都営大江戸線がそうである。開業して一年が経過した。この間の乗客数は予想を下回っている。運賃が高いため、企業が従業員に定期券の変更を認めていないことも一因らしい。確かに、乗換駅は多く、各線と接続しているけれど、地上から乗り場までが遠い。思えば一度しか乗車していない。これが年配者ならどうだろうか。これが意外に評判が高いらしい。バリアフリーに対応しているからで、少々時間が掛かっても大江戸線を利用するという。
 納得はする。が、都内を知る者や時間に追われる会社員ならば、二、三駅程度の距離なら歩いた方がずっと早く目的地に着く。現在山手線内ではどこにいても徒歩十五分で駅に出るようになっているから尚更である。また、電車の待ち時間や階段を上下することを考えると到底利用する気になれない。
 都内の移動手段としては、本来なら環境問題からも路面電車が最適である。一時は網の目の様に走っていたものだ。自動車が増えるにつれ邪魔者扱いされてしまった。それは軌道内に乗り入れさせたためである。この結果、路線バスへの変更や地下鉄の建設が行なわれた。社会的弱者にとっては、バスの慢性的な遅れや駅構造の関係で、これまで以上に利用し難いものになってしまった。それにしても、行政がここに来て見直そうとしているのは、自ら先見の明の無さを曝け出すことに他ならない。ただ呆れるばかりである。これも欧米の一面しか見てこなかったつけである。
 行政とは住民のためにあるはずだが、実際には程遠く感じる。全く不思議である。何時の時代でもやってやるという意識が強すぎる。
(第十一段)
 
[PR]
by akasakatei | 2001-12-29 11:40 | 地域 | Comments(0)

蒲焼美色度(どようまがいのわごう)

 共同体の機能が低下するとともに、世の中、凶悪な犯罪が増えてきたといえる。これには生活の場における匿名性が広がったことも無縁ではない。更に、自動車や携帯電話、電脳機関など科学の発達の産物もある。
 そうした中、上海の運び屋から連絡が来た。ウイルスに感染したメールを送信してしまったという。全く迷惑な話である。国分寺の師匠の力によって、事なきを得たが改めて人間の性について考えさせられた。
 科学の進歩は果たして人間にどういう影響を与えるのか。科学者は、一般的に使う人間の問題という傾向があるけれど、環境問題を始めとして、誘拐事件、戦争など最新技術を犯行に使う現実を目にすると、本当に必要なものだったのかと思うものがあまりにも多い。現在クローンの研究者もいるらしいが、倫理感覚はどうなっているのだろう。生物を生み出そうとするのも疑問である。後のことよりも、目先のことだけにしか目がいっていないのだろう。
 リニアモーターもその速さばかりが強調されるが、実際の身体への影響がどの程度なものか正確には誰も知らない。完成してから失敗だったというよりも、ここは慎重過ぎて悪いことはない。本当に必要なものなのか。明治以降、脱亜入欧で進んできたが、こうした例は数え切れないほどある。
 また、ある筋によると、最近女帝論が盛んだが、科学と無関係ではないという。
 この意味をどう捉えるか。歴史を今一度振り返る必要があるかもしれない。
(第十段)
[PR]
by akasakatei | 2001-12-15 11:38 | 産業 | Comments(0)

世人楽写姿(げんぷくまなびやのはんめん)

学校の役割とは何であろうか。社会に出るまでの準備期間といえるが、実際には機能しているとは言い難い。何しろ、大学生が算数を解けない時代である。少子化に伴い志願者の減少を恐れる大学が受験科目を少なくしていることもある。最低限の実力が備わっているかどうかさえ怪しい。
何も大学だけではない。小学校では学級崩壊しているし、一体どうなっているのだろう。初等教育のこうした問題は、教育以前のことである。どちらかといえば躾だろう。生きていく上での前提となるものである。最近の親は躾さえ、学校に期待するという。初等教育機関の本来の姿は、幼稚園においては集団生活の約束事から始まるものである。躾については家庭の問題ではないか。
こうした結果が、成人式における考えられない行動である。わざわざ、税金を使い祝うことがあるのだろうか。多くの参加者は旧友に会うために利用するだけという。成人としての意識が欠如しているとしか思えない。
平均寿命は延び、かつてと比べ若くから活躍する者はほとんどいない。この際、成人の年齢を二十歳にこだわる必要はどこにもない。こう書くと、煙草や酒造関係者から反対されるかもしれない。が、少し待って貰いたい。誰も年齢を上げろとは言ってはいない。戦後民主主義は何事も平等にさせたがるが、人によって異なってもいいのではないか。所謂元服に戻して、自他ともに認めた時に一人前とするのである。個性重視を唱えている現在、こうした流れに行くのが自然である。
(第九段)
[PR]
by akasakatei | 2001-12-05 11:37 | 教育 | Comments(0)