カテゴリ:現代社会問題( 11 )

杏模煮(にてもにつかぬ)

二十日、佐貫の酒仙と昼から江戸年中行事の追体験をすることになっている。二月といえば梅であり、湯島天神で待ち合わせる。その後、川口の清掃職人も加わって打ち上げを行なう予定である。
昼頃に湯島となれば、上野鈴本演芸場での早朝寄席を聞いてからでも遅くはない。この日は、先日の新聞で深夜寄席、早朝寄席が報じられたからか、いつもより客が多い。祖父に連れられた幼稚園くらいの子供もいる。この年齢から落語を聞かせるのは賛成だけれども、一時間半もの間、大人しくしていられるのだろうか。
案の定、時間の経過とともにじっとしていられなくなる。とはいえ、声を出すわけではなく、買って貰った菓子を食べているだけなものの、煎餅を齧る音やそれの入っているビニール袋を弄る音が耳障りである。
これとは別に後ろに座った年配の女性は風邪のようで頻りに咳をしている。それも手で口を塞いでいない様子である。もっと、周辺に気を配るべきである。
周辺に気を配るといえば、梅見を終え、清掃職人と合流した後、山手線で秋葉原から飲み屋を求めて移動した際、車内に臭気がする。何かと思えば、老女のホームレスが座っており、そこから臭ってくる。酒仙、清掃職人とも口と鼻を押さえながら、逃げるように隣りの御徒町で下車する。結局、そこで店を探し、席に着くものの、いつまでも鼻が臭いを覚えており、不快な気分が抜けない。
色々事情はあるのだろうが、政府には公衆の場における臭いのような迷惑には対策を講じて貰いたいものである。また、個人も常に他人の気持ちに立った上での行動を望む。
(第五百四十五段)
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by akasakatei | 2005-02-26 21:06 | 現代社会問題 | Comments(0)

東空雲(よあけがらす)

 漸くビデオのリモコンが直ってきた。とはいっても、結局、新しいリモコンに取り替えることになった。
 この間、テレビを見ない生活であった。このため、時間に終われることはなく、快適であった。
 一体、テレビとは何なのだろう。メディアの意義については、昔から語られている。そのひとつに、大衆操作がある。我が国では、あまり感じられないけれど、北朝鮮では未だにこれを行なっている。先日行なわれた金総書記の誕生日の映像を目にする機会があった。オウム真理教が選挙戦で使ったような音楽を番組で流し、将軍様が一番だ、と繰り返していた。
 これに比べ、我が国ではどうか。
 NHKの他に民放がいくつもあり、番組の選択は出来るものの、どこも大して面白い番組を放送しているわけではない。他にも娯楽はあり、このままでは何れ見向きもされなくなるだろう。
 こうした中、番組制作を巡りNHKと朝日新聞、またニッポン放送株に関してライブドアとフジテレビが争っている。聞いていると、最終的には権力のあるところが勝ちそうな雲行きである。
 ライブドアはルールの抜け道を使ったに過ぎないものの、政財界から批判が相次いでいる。自由競争社会においては、一定のルールの下であれば、どのような方法を使っても良かったのではないか。これは、今まで、政治家や大企業が行なってきたことであり、今更ながらの批判には首を傾げざるを得ない。批判を聞いていると、白々しい気分になる。
(第五百四十三段)
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by akasakatei | 2005-02-24 21:20 | 現代社会問題 | Comments(0)

笑電脳武器(うちじにてんまつ)

 ウイルス対策ソフト及びインターネットセキュリティソフトをインストールしたところ、更新するよう指示が出る。インターネットに繋ぐ。だけれど、いつまで経っても終わらない。そのうち、画面には、接続環境を確認しろとのメッセージが浮かぶ。確認しろとは言っても、右下には繋がっている表示がある。
仕方なく、マニュアルを調べると、このシステムが有効の場合、正常に動作しないことがあるという。何という優れものか。インターネットがあまりにも危ないために、このソフトを使うことにより、全てを表示させなくするらしい。自社のものにまで、繋げなくさせるのだから念が入っている。
なるほど、これならば完全に安全である。こうすれば、侵入もないだろう。尤も、これではどのHPも見られず、ならば、最初から繋げなければ良いだけの話である。さすれば、電話代も掛からない。
それにしても、このソフトに欠陥があることは明白である。「恐れ入谷の鬼子母神」、更に加えれば、この製造会社は「麻布だね」ということになる。戦場において、あらゆる攻撃を想定し、多くの武器を持ったは良いが、いざ攻撃を受けると、その扱いに戸惑っている間に討ち死にをしてしまうものだろう。
 お粗末な話である。ただ裏を返せば、それだけ怪しいHPが多いということにもなる。
(第五百四十一段)
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by akasakatei | 2005-02-22 21:10 | 現代社会問題 | Comments(1)

吾価類会社(くらいきぎょう)

 現在の雇用状況における特徴のひとつとして、正規雇用者数の減少が挙げられる。これに伴い、職場環境は以前と比べ大きく変化した。
 契約社員や派遣社員の数が増え、組織における結束という点では低下した。これにより、目標へ達することが難しくなったともいえる。また、企業は目先の人件費圧縮を第一に、人員整理を行なうものの、長期的視野に立てばこれは愚策である。その組織に合う人を育てるには時間が掛かる。これを忘れ、必要に応じ即戦力を求めても、他に条件の良い企業があれば移ってしまうだろう。結果、企業の目標達成は夢に終わってしまう。
 更に、社内教育に関して言えば、現在、新卒でも即戦力が求められている。正直、これは厳しく、大学生活における四年間では無理である。就職出来ずに卒業した学生の数はかなりになる。仕方なく、フリーターや大学院などに未来を求めるものの、将来の生活設計という点では、正社員としての就職の道は閉ざされており、青写真が描けない。
 これは男子学生だけではなく、女子学生も同様である。かつて、就職は結婚までの腰掛であったものの、今の時代、夫の収入だけで暮らせるのはひと握りである。このため、夫を選ぶ目も厳しくなる。
 つまり、今の労働環境は少子高齢化に、より歯車を掛けるものである。これを忘れ、何かの政策を掲げたとしても成功はしないだろう。ある長官は、正社員が減ることについて、新しい職場環境の到来と胸を張っていたけれど、将来を本当に認識していたのか。こうした人が上にいる限り、我が国は益々泥沼から抜け出せなくなるだろう。
(第五百三十九段)
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by akasakatei | 2005-02-20 19:15 | 現代社会問題 | Comments(0)

役人大天国(ぜいきんのいど)

 社会保険庁、大阪市、NHKらに対し、最近風当たりが強い。当然である。職員への無駄遣いが許されるはずもない。
 職員らは不服なようで、色々と反論しているものの、民間では考えられない厚遇である。親が子に就いて貰いたい職業として、公務員が第一位なのも納得する。
 公務員といえば、前に市町村の合併に関して書いた。これについて、住居表示がどうなったのかと思い、各自治体に確認をした。市町村レベルなので、そこに訊くのが妥当だけれど、あまりにも数が多く、都道府県レベルに電話を入れる。
 ここでの対応をいえば、茨城、千葉、滋賀は悪い。
茨城は各市町村レベルで確認して貰いたいと言う。教わった市に電話をすると、細かく教えてくれるものの、某市だけはHPを見てくれとした。HPがない環境を伝え、FAXを依頼すれば、枚数が多いために送れないとする。これまで、他の自治体ではこれらのことを伝えれば、快くFAXを送ってくれた。拒否されたことはなく、サービスの悪さを感じる。
また、千葉は東京事務所に電話をしたところ、こちらでは把握していないため、ここも該当する市に訊いてくれと言われる。更に、滋賀はあまりにも多過ぎて電話では答えられず、合併推進室に訊ねてくれと答える。
 逆に良かったのは、島根や鳥取などで分かり易い一覧になっており、大いに重宝する。
 それにしても、先のサービスの悪い自治体は、その対応によりイメージが悪くなることを知らず、そのひと言によって、観光客が減る認識を持つべきである。
(第五百三十八段)
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by akasakatei | 2005-02-19 21:08 | 現代社会問題 | Comments(0)

祝仕事場昼(ひるやすみざっき)

建国記念日、仕事場近くの吉野家では昼時に行列が出来た。何かと思えば、一日限定で牛丼が復活するという。先に書いたことから考えれば、それだけ利用者の心を掴んでいるということに他ならない。
味覚は人により異なるものだけれど、その牛丼についてここ十年近くも口にしていない者からすれば、驚きの方が大きい。最初に食べたのは子供の頃で、あまり良くない肉を味で補っている印象を持った。
こうしたことからすると、味より値段が魅力なのかとも思うものの、他のチェーンでも似たようなものである。とすれば、やはり味なのだろう。
また、その少し先には、ポケモンセンターがある。ここは夏休みともなれば毎日のように子供連れの長蛇の列が出来る。この日も寒かったにも拘わらず二時間待ちの列が出来ていた。親も大変である。
その列を観察すると、どの家族も子供がふたり以上いる。ひとりっ子はまずいない。少子化はどこの話しなのかとも思うけれど、実際には裕福な家庭なのだろう。小奇麗な格好をしている。それに、親の他に祖父母の姿も結構見掛ける。孫に買ってやるのだろう。現代家族の姿の典型のひとつである。
(第五百三十五段)
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by akasakatei | 2005-02-16 21:10 | 現代社会問題 | Comments(0)

二枚舌(あまいもすいも)

 先段に続き、商いを考える。
前項との絡みで言えば、前に触れた再上陸した某パソコンメーカーは失格である。あの後、パーツの製造注意について説明を求めているのに未だ連絡がない。否、あるにはあったけれど、それは新製品に関する案内メールだけである。
その内容は傲慢に満ちたもので、新製品の素晴らしさと撤退していた間にサポートを止めなかったことへの自画自賛に終始している。現実を知らないから、こうした厚顔無恥なメールが送れたのだろう。この無神経さには呆れる。
更に、目標として顧客満足度の拡充を上げており、サポートを強化するという。つまり、裏を返せば、新製品に欠陥があり、その予防ということであろう。無知な者を如何に騙そうかとの思いを感じる。
こうした売り手は多い。上辺だけを見ていては駄目である。世の中のものには全て裏がある。そのからくりを知り、賢い消費者にならなければならない。そのからくりとは如何に利潤を出すかである。それが暴かれると、結果的に企業の不祥事として毎日のように報じられることになる。企業は社会的な貢献を口にするものの、実際には利益を優先する。我々は日常においてこれを忘れ過ぎている。
(第五百三十四段)
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by akasakatei | 2005-02-15 20:58 | 現代社会問題 | Comments(0)

欠定式(ひじょうのさほう)

ある寒い祭日、都内の仕事場にいると、コートを着た三十代後半のセールスマンが音もなく入って来る。名刺を差し出しながら、個人向けの投資について説明を始める。関心もないので早々に引きとって貰う。その際、一度出した名刺を何も言わずに持って行く。
もし、このセールスマンがこうした態度で営業をしているとしたら、契約は取れていないに違いない。だから、祭日にも拘わらず誰もいないはずの都内のオフィスを回っているのだろう。
第一に、ノックもせずに入って来ることからしておかしい。これは最低限のマナーであろう。
第二に、コートを来たままというのも不思議である。普通は玄関
前で脱いで入ってくるものである。最近、寺社仏閣に行くことが多いけれど、そこでもいい年をした人でさえ本尊の前で脱いでいる姿を見たことはない。宗教に関係なく、そこは神聖の場であり、拝観する時は脱ぐのが礼儀である。また、入る時や帰る時にも、そこにいる関係者に見せて貰ったことに対する礼儀として頭を下げるものである。
第三に、帰り際、一度出したものを無言で戻すのはどうか。これは失礼である。
仕事場にいたのは一分くらいだったけれど、短い時間でこれだけの不快な要素がある。呆れる外ない。
この会社については、これまでにも何人ものセールスマンが来ているけれど、およそ好感を持った試しはない。どこかしら、マナーに欠けている点が印象に残っているばかりである。
更に、ここは電話営業もマナーに欠けている。電話に出ると「近くにいるので、今から訪問しても良いですか」と言う。こちらの計画も考えずにどういうつもりか。
こういうことばかりをしているので信用がないのである。相手の心を掴むとは信用を得ることであろう。
(第五百三十二段)
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by akasakatei | 2005-02-13 18:44 | 現代社会問題 | Comments(0)

真茂手納施(てつのほうし)

  先に福岡市営地下鉄の商売に対する姿勢を書いた。また、これまでにも、折に触れ各鉄道会社のそれを論じてきた。要は利用者の視点に立ったサービスの大切さを言ってきたけれど、先日の新聞を読んでいたら、新幹線において、受験生が誤って乗車し、通過駅に臨時停車した記事が載っていた。これにより三分ほど遅れたという。
 JRによれば特例とのことだが、これはサービスでも何でもない。悪い先例を残した。各メディアは美談としたものの、これは明らかに乗車時に注意をしなかった受験生に非がある。それに対し、どうしてJRが停車させる必要があるのか。自己責任である。
 今回、停車させるに当たり、他の乗客に断ったというけれど、ひとりひとりに声を掛けたわけではないだろう。車内放送だけとしたら、それこそ不親切である。
 というのも、他の駅で乗り換える人がいたとしたらどうか。三分遅れたことにより、接続がなくなっているかもしれない。本数の多い線では充分に有り得ることである。一見、後続列車に乗れば、問題がないと思われるだろう。だけれど、そんなに簡単ではない。乗り換えた線から更にまた別の線に乗り換えることになっていたらどうか。その線が何時間に一本しかなく、乗り遅れた列車でないと接続しなかったとすれば、JRのこの特例は失敗だとしかいいようがない。
 失敗の要因を探れば、目先のことしか考えていないからで、全体を見回す視点が欠けていたためである。場当たり的な判断ではいけないという見本である。
(第五百三十一段)
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by akasakatei | 2005-02-12 21:13 | 現代社会問題 | Comments(0)

似非合併話(しちょうそんがっぺいのこうよう)

 市町村合併が盛んである。仕事上での必要があり調べていたところ、鳥取、島根、愛媛で急速に進んでいる。今月もまた多いようで、こうなると、かつて学校で習った地理は役に立たない。目を世界に転じれば、こちらも同じである。
 社会は変動するものであり、合併が行なわれても不思議ではないものの、合併後の市町村名は馴染みがないものがほとんどであり、すぐに頭には出て来ない。
 今回の合併は国の音頭から始まったもので、そこには合併による補助金目当てがほとんどだろう。
 地方自治体は会計がどこも苦しいけれど、住民の心情から考えれば、合併すること自体に無理がある。共同体が崩壊しているとはいっても、地方においては都市部よりも未だ残っている。それを住民投票による結果とはいえ、旧市町村における意識は当分消えないと考える。
 例えば、最近多い会社における対等合併も、実際には言葉だけで、その組織内における旧二社の勢力争いはある。地域と会社は異なるとする意見もあるだろう。確かに、集団論においてそう論じられている。けれど、行政サービスや市町村の中心が変わるとなればどうか。必ず、これまでよりも悪くなる場所が出て来る。こうした視点を無視し、財政が苦しいからという理由だけで事を進めると、一体感という点においては、その地で生まれ育った世代が社会に出て来るまでまとまりに欠けることになるだろう。
 では、財政問題をどうするか。前にも書いたけれど、公務員における待遇は民間企業よりも優遇されており、そこをまず削る必要がある。また、無駄な出費も多い。その出所を意識していない公務員さえいる。意識改革をすることがまず重要だろう。
(第五百二十四段)
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by akasakatei | 2005-02-05 20:59 | 現代社会問題 | Comments(0)