カテゴリ:江戸( 5 )

鹿毛馬(いまはみかけぬ)

早朝寄席の後、昼頃、湯島天神に行けば、雨が降ったり止んだりの天気であるにも拘わらず、梅まつりと入試の時期ということもあり、屋台も出てかなりの人である。その中から、佐貫の酒仙を探し出す。
今月の江戸年中行事の追体験は梅見である。江戸における梅の名所は、梅屋敷や向島などであった。それらの多くは枯れてしまい、現在、都内で有名な梅といえば湯島天神である。丁度一週間前に千住の写真家も訪れており、それによれば、下旬が見頃とのことであったものの、数日前に雪が降った影響か、一枝にいくつかが咲いているに過ぎない。
振舞われている昆布茶を飲みながら、梅一輪一輪を愛でる。酒仙はデジカメで撮影をしている。
ところで、今回、何の疑問もなく湯島の梅に決めたものの、唯一問題になったのが味覚である。この追体験では、当然、味覚もそのひとつになっている。そこで色々調べたけれども、その昔、湯島は芳町と並び陰間茶屋が多かったからか、湯島にまつわる店や味は見付からなかった。
そこで、十年ほど前に出来た家族でやっている蕎麦屋で太目の黒い蕎麦を昼食とする。ここには、開店当時に入ったことがある。その頃は江戸に関心がなく気付かなかったけれど、店内のディスプレイとして大小暦が使われている。また、雑誌で何度も取り上げられた店だけれど、その切抜きが張られていないのには好感が持てる。
ここの盛り蕎麦は、生醤油と大根の絞り汁を自分で調節しながら汁を作り、蕎麦を手繰る。酒仙は飲みたそうな顔をしているものの、この後、三時半に川口の清掃職人と合流することになっているため、我慢して貰わねばなるまい。
(第五百四十六段)
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by akasakatei | 2005-02-27 12:50 | 江戸 | Comments(0)

鹿芝居見聞(わらいのうず)

 国立演芸場の二月の中席に行く。大喜利として鹿芝居がある。このため、客席には歌舞伎座で何度か見掛けた顔もいる。
 鹿芝居とは噺家による芝居である。今回は歌舞伎でも観た『芝浜革財布』である。だけれど、鹿芝居を観るのは初めてである。この演目は、正月向きの話である。既に、二月なのに選ばれたのは旧正月に合わせたのだろうか。その証拠に、大喜利の始まる前には獅子舞も出、客席を回る。
 獅子舞は厄を追い払うという。このため、財布に余裕がある人や災難続きの人は紙幣を用意し、獅子舞に与える。それを獅子舞は喜んで食べた後、それらの人々の頭に付いている厄を落とす。
 最近、ろくなこともなく、ひとつお願いしようか、と財布を確認すれば生憎大きなお札しかない。この後、横浜の幹事や越生の法家、それに川越の図書奉行らと中目黒で遅い新年会である。遅くなったのは、旧暦で行なおうとしたわけではなく、各人の都合上で偶々この時期になっただけである。だから、それをここで失うわけにはいかない。泣く泣く諦める。
 ところで、肝心の芝居は、歌舞伎とはまた異なり、噺家らしく、ところどころに笑いがある。この雰囲気も悪くはない。
(第五百三十七段)
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by akasakatei | 2005-02-18 20:58 | 江戸 | Comments(0)

二目勉強会(はやおきはさんもくのとく)

 毎週日曜日の朝十時から上野の鈴本演芸場では二つ目の勉強会が開かれている。早朝寄席と称し、五百円で一時間半ほど楽しませてくれる。
 これまでに早朝寄席には足を向けたことがなく、一度聞きに行くことにする。一月最後の日曜日、自宅を八時に出、御茶ノ水から寄席まで歩けば、開場前の九時に着く。三十分ほど時間があり、前で待っていると、出演予定の噺家が挨拶をして行く。未だ若く、はきはきと話す。
 二つ目の勉強会で開場の三十分も前から並ぶ客は滅多にいないのだろう。いたとしても、テレビで有名な人が出演する時だけと思われる。事実、この日の出演者は知らない人ばかりであった。
帰宅して名鑑で調べると二、三歳しか違わない。こちらは草臥れているのに、対照的に血色も良い。日常生活において接する笑いの量の違いだろうか。最近の研究では笑いは老化の防止になるという。ならば、物忘れがひどいこの頃、余裕がある時はなるべく寄席に通うことにしたいと思う。
 こうしたことを知ったわけではないだろうが、土日の寄席は混む。どこでも満員である。開場前より随分早く行って並ばないと、良い座席に座れないほどである。
 だけれど、早朝寄席はあちこちに空席がある。未だこの会を知らないこともあるだろうし、早朝ということもある。そうしたことを考えると、この時間はひとつの贅沢である。現在、噺家の世界では、昇進順に前座、二つ目、真打ちと区別がある。この順に人数が多くなる。このため、定席ではこの真打ちが高座に上がってしまい、二つ目が落語をすることは難しい。前座は師匠が面倒を見てくれるので、未だ良いものの、二つ目は自分で落語をする場所を探さねばならない。そうした意味において、この早朝寄席は重要な役割を担っている。
(第五百二十五段)
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by akasakatei | 2005-02-06 21:02 | 江戸 | Comments(0)

襲名披露前(きっぷそうだつうらばなし)

 今年は芝居よりも寄席に通うつもりでいるものの、三月に歌舞伎座で行なわれる中村屋の十八代目勘三郎襲名と新橋演舞場でのスーパー歌舞伎には足を運ぶ予定でいる。
 先日、それらのうち、襲名披露公演に関する電話予約が始まった。演目は、昼が『猿若江戸の初櫓』、『平家女護島(俊寛)』、『口上』、『一条大蔵譚』で、夜が『近江源氏先陣館(盛綱陣屋)』、『保名』、『鰯賣戀曳網』である。どちらに行くかと考えた場合、これは昼の方に興味がある。『口上』があるからではなく、『平家女護島(俊寛)』以外は観ていないからである。それに対して、夜は『鰯賣戀曳網』以外は観ているためである。『保名』は二回も観ている。
 こう考え電話予約しようとしたところ、なかなか繋がらず、繋がった時には開始から四時間も経っていた。早速、係に希望を伝えたところ、昼の部は既に全ての公演日において全座席が売り切れており、仕方なく夜の部を予約する。これには理由がある。
 襲名披露は演目を変えて五月まで行なわれる。調べるとどれも観た演目である。特に、観たいというものもない。別段、無理して行かなくても良いのだけれど、襲名を発表した当時から楽しみにしていた公演である。どれかには行きたい。しかし、肝心の演目には魅力が感じられない。こうなると、来月以降また予約電話を掛けるのも面倒である。『近江源氏先陣館(盛綱陣屋)』、『保名』については好きな演目でないけれど、丁度、故三島由紀夫氏の『鰯賣戀曳網』は観ていない。これが先に「仕方なく」とした理由である。
 正直、当日の一幕席もあり、そちらにしようかとも思うものの、寒い時期に長時間並ぶ必要がある。風邪を引いては馬鹿らしい。
 そうした思いで切符引取り初日の十時半頃に歌舞伎座の窓口に行く。この日は十時から窓口発売の初日でもある。思ったほど行列がない。見れば張り紙に、三月の昼は満席で、夜は残り僅かとある。察するに、夜は昼ほど魅力がないため、未だに残っているのであろう。納得はする。
(第五百二十三段)
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by akasakatei | 2005-02-04 20:56 | 江戸 | Comments(0)

講福役(さちのくるほう)

 

 今年は佐貫の酒仙と江戸年中行事の追体験を毎月行なう予定である。このため、それらに関して調べてみたところ、仕事の関係で追体験出来ないものがかなりの数ある。
 江戸においては、今日みたいに日曜になったからといって一斉に休むことはなく、人により休みが異なった。どこに行っても混むということは考えられなかった。
 この日曜という習慣は明治以降のもので、西洋の影響を受けていることは明白なものの、どうして取り入れたのかとさえ思う。この元は聖書の安息日と関係しているけれど、人々に平等に休みを与える意味よりも、神への敬いを確認させる日だったはずである。
 そう考えると、宗教に縛られずに好きに休める江戸は良かったのではないか。確かに、その行事を調べていると、寺社仏閣関連も多いけれど、庶民はそこに楽しみを見出していた。
その例として、正月の七福神巡りが挙げられる。一神教からすれば、七福神の存在からして理解出来ないのに、そこを巡ることにより福神の置物を七つ手に入れるのである。偶像を禁止している彼らにとっては、最早理解不可能だろう。更に、これらは信仰というより、行楽の意味が強い。遊び心に溢れている。
宗教により生活全般が管理されている西洋より、最低限のルールさえ守っていれば何をしても良かった江戸の方が暮らし易かったのは明らかである。そこには、諸国から人々が集まり、それを受け入れる懐の深さもあった。これは重要である。
そうした考えが現在必要である。しかし、実際には他人と比較する自分がおり、これが人々を不幸にしている。「他人は他人、自分は自分」と考えれば、金銭、名誉、地位など馬鹿らしくなってくるものである。
(第五百二十一段)



    
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by akasakatei | 2005-02-02 21:05 | 江戸 | Comments(0)