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京余波(じけんのえいきょう)

 京都での父親を殺害した事件に関し、何本かの深夜アニメが放送を取り止めた。
 何れも、事件を思わせるためだという。
 果たして、そこまでする必要があるのか。
 例えば、江戸歌舞伎では、そうした事件をすぐに舞台へ採り入れていた。
 今と異なり情報面が遅れており、芝居がその代わりともいえるけれど、そこには、当時の現代劇としての歌舞伎の姿を感じる。近代以降、歌舞伎が芸術となり、そうした面が薄れたのは否めない。
 現代では、新作落語に、そうした一面が未だ残るものの、それらが社会的に話題になることは少ない。
 これは寄席や独演会でしか聴けないためである。
 むしろ、江戸での歌舞伎に近いのは、アニメである。時事問題について時間を置かずにパロディ化する。実際、最近の角界での横綱問題も採り入れていた。
 このように見てくると、過剰反応な気がする。
 ただ、このところ、常識が欠如した人間が多い。そのためというならば、嘆かわしい世の中になったものである。
(第千四百九十七段)
by akasakatei | 2007-10-06 21:45 | 社会心理 | Comments(0)
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