これで何度目か。パソコンのウイルス対策ソフトがおかしくなり、再インストールを行なう。この時、画面の枠がひび割れしていることに気付く。
こうなると、買い替えを考えなければならないものの、不便さばかりが頭に浮かぶ。例えば、ワープロ機能における変換される語彙の少なさはどうか。また、人名において、旧字がない場合があり、外字を作らなければならない。
この種の字は、手間を考えると手書きの方が早い。
手書きといえば、最近、写経をしている。この際、手本を見て行なう。当然のことながら、見慣れない旧字も多く、つい、慣れた字で書いてしまう。
現在、古典には様々な写本が多く、原本が分からないものが多い。恐らく写した人も先のような心境だったのだろう。
勿論、良くない傾向である。後世の人が、安易に、古い時代の人が間違えたと考えるのは、一見正しそうに見える。実際には、今日でもミスは多数発生しており、決め付けるのは良くないだろう。
ところで、写経だけれど、寺に納経するには「納経料が必要になる」と先日、坐禅に行った寺で聞いた。いくらと言われない分、迷う。葬式代も似たものに違いない。寺への御布施、普段は意識していないが、初めて考えさせられた。
(第八百二十七段)