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論文応用術(かきてより)

 学術論文を読んでいると、ある時期を切っ掛けに内容が変わることがある。これは、書き手が成長したからである。こうしたことを知らずに、初期の作品を中心に勉強し、その書き手の所属する大学院の試験に臨めば、まず面接試験で突っ込まれる。
 こうした傾向は、何も、学術論文だけでなく、小説や絵画なども同様である。物を作り出す時には、誰もが意識しないだけで、それが作品に表れている。
 勿論、この文も例外ではなく、記録によれば、初段は二千一年十月二十一日だから、四年ほど続いていることになる。
 先日、某により、読み返すよう言われ、目を通せば、正直、覚えていないことの方が多い。某は書いたものを忘れるはずないと言うけれど、情報化社会においては、最近のものでさえ覚えているか怪しいのに、年月が経たものは忘れていても不思議ではない。自分の人生で経験したことをひとつひとつ覚えている人はまずいないだろう。
 それに、先にも書いた通り、書き手も日々成長しており、昔のものを覚えているのは難しい。極端にいえば、現代社会で、覚えていられるのは精々ひと月以内ではないか。重要なのは今である。
(第七百九十六段)
by akasakatei | 2005-11-04 22:27 | 文芸 | Comments(1)
Commented by water_dragon_ver3 at 2005-11-03 23:50
同感です。
こんな事を書いたっけ、というのは俺もよくあります。
酷い場合は、こう考えていた自分がわからない、というケースもある。
もっともそこまで酷いのはそんなにある訳ではありませんが。
いい加減なと思われる事も覚悟で、より良い考えに向けて日々更新していくべきでしょう。
たまには振り返る事も必要だと思うのですけどね。
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