(暮れになると:2017年12月3日撮影)
暮れが近付く。
先の事件で、富岡八幡宮の初詣にも影響が出るはずだ。
富岡八幡宮というと、角力を思い出す。先の角界での騒動で引退
した横綱と殺された宮司との写真がスポーツ新聞に出ている。
このスポーツ新聞では、十二月から始まった連載が興味深い。
母校を初めて甲子園に導いた監督が、ひと月に渡り、半生を語っ
ている。
それによれば、母校は、当時、勉学に力を入れていたらしい。意
外だ。
また、グラウンドについては、高圧線がある関係で、練習試合も
出来なかったとある。
本格的に野球に取り組む生徒もいなかったみたいだ。
確かに、そうした傾向はあり、在校中の甲子園も、偶然、良い選
手が揃ったためだ。
野球雑誌での監督の紹介でも、選手は甲子園より、付属校なので、
エスカレーターで大学へ行きたいから入学したと話していた。
とはいえ、昭和三十年代には、何人かがプロ野球に進んでいる。
(第五千二百十七段)