子供時記憶(こどものときの)

b0031140_19394488.jpg

(変わらない物には何があるのか:2016年5月29日撮影)


仕事場において、耶蘇の婆の悲鳴がする。
何かと思えば、書類上に雀蜂がいる。婆は、恐ろしいことに、履
き物で叩き潰していた。
雀蜂は、攻撃を加えるといけないというが、これで、失敗したら、
仕事場全体が地獄図となる。
そういえば、婆は、青虫を見付けると、鋏で切るとも聞いた。
信仰があろうが、それが本性だ。その関連でいえば、性的少数者
に対し、気持ち悪いとも言っていた。
本人は善人と思っているものの、そうでもなく、それを言ってい
る己の顔を鏡に映すべきだろう。
大体、キリシタンで普通だった人間に会ったことがない。逆に、
考えると、普通でないから、キリシタンになったのだろう。更に加
えれば、一神教には、その傾向が強く、接していると疲れる。
これは、小さい頃より思っていた。
子供といえば、当時は、元何だったというのが、好きだった。
故郷では、産土神の涸れた池、移転した学校跡、乃木神社の馬小
屋、廃止になった都電などがあり、当時を想像した。
出掛けても、川が埋められて残された橋、電車が高架化されて駐
車場になった地上が気になった。
子供心にも、悲哀を感じたに違いない。
以前にも触れたが、故郷の家の庭には甕が埋められていた。
これについては、生まれてから、小学校五年までは、土で塞がれ、
植物も植えていなかった。
幼児の頃、父親より、金魚を飼い、会ったことのない祖母は蓮も
栽培していたと聞いた。何故、埋めたのかと訊くと、母方の祖父が
贅沢だと言ったためらしい。
それを五年になった時、土を掘り起こし、また、金魚を飼育する
ことにした。
中学受験の勉強もせずに、作業をしたことを思い出す。
(第四千六百七十九段)
[PR]
by akasakatei | 2016-06-22 19:37 | 社会心理 | Comments(0)
<< 新松田散策(しんまつだをあるく) 野球基準値(つうさんあんだにおもう) >>