個人信仰悪(こじんしんこうをすてよ)

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(個人の欲望で生きる連中が増えた結果、どうなったか:2016年2月22日撮影)


先日、触れたチェーンの喫茶店が、休みでないのに、開いていない。表にいたスタッフによれば、鍵を持ったスタッフと連絡が取れないらしい。
 そこへ、件の二百三高地のオバサンが、「ごきげんよう」と来る。こうした挨拶をする人を見るのは二度目だ。
 お嬢様学校を出ているのか、そうした家庭だったのかは知らないものの、多少違和感を覚える。
 そうした中、アメリカ大統領選挙関係で、ローマ法王の発言を目にする。共和党候補指名争いに関するものだ。
 その法王は、先日、ロシア正教総主教と千年振りに会談したらしい。
 聖人とされる上が、こうした状態だから、末端の連中の信仰が偽りでも可笑しくはない。
 個人のための信仰となっている。
 個人といえば、スマートフォンの車内での使い方は、目に余るものがある。
 これは自転車も同様だ。
(第四千五百六十一段)
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by akasakatei | 2016-02-25 20:26 | 社会心理 | Comments(0)
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