店主は、修業時代、料理屋で鶏を雛から育て、それを潰していたという。
雛は、名古屋から貨物列車で送って貰い、駅まで、取りに行っていたとのことだ。
また、摘み食いで味も知らぬ間に覚えたらしい。
賄いは質素で、宴会料理の残りが御馳走だったとも話す。
更に、興味深かったのは、肉の塊を捌き、背骨を使い、油として利用していたと続ける。
結構、手間が掛かっている。
最近は、天婦羅ひとつ食べても、油の関係で、昔の味には遠い。それだけ、かつては、贅沢なものだったのかもしれない。
現在は、業務用として、業者が販売をしている。
翌日、耳が聞こえない人達で運営するスープカフェに家人らと足を運ぶ。家人は手話を習ったことがある。人により癖があるとのことだ。
近くにいた男性客がシステムを教えてくれる。
洋食屋の店主が着るような白衣姿だ。休憩中のどこかの店のスタッフかと思っていたところ、店を出て行く際、その上に、背広の上着を着る。一体、何者かと思う。他人からは先生と呼ばれているようで、近くの大学の先生か。
(第四千二百十七段)