(忠犬の像に集いし弥生かな:2015年3月9日撮影)
仕事前、東大農学部に設置されたハチ公と上野博士の像を見る。
いつもとは異なる列車内で、こうした時、気になるのが他人の格好か。以前、鬘に触れた。
他には、最近の若い女性で、大きめの伊達眼鏡をする姿を見るものの、レンズがないこともある。これは型崩れを招く。
そうした折り、家人と耶蘇教精神について話す。
前に、昨今の政治家や富裕層に耶蘇が多いことを書いた。結論として、本当の信仰ではないとした。形だけの信者だ。
逆にいえば、この種の連中を救えないのだから、耶蘇教の力不足は明白だ。
過去を振り返れば、耶蘇教信者が目立つ国を中心に、戦争が始まった。一神教の狂信的な部分が、それを駆り立てるのではないか。
そうでなければ、東京大空襲や原爆を投下することは出来なかったに違いない。
誤った正義を信じ、実行することほど、危険なことはない。
現政権にも、それを感じる。
それでいえば、ハチ公も忠犬に祭り上げられたのではないか。
(第四千二百十四段)