相撲の話の続きである。横綱に心が伴わないと書いた。それは以下の発言からも伺える。
勝った相手に対し「あの野郎、今度はつり落としだ」
首を捻らざるを得ない。
横綱はつり落としを使うことにより、強さを誇示したいのだろう。つり落としは豪快な技である。見た者に強烈な印象を与える。このため、最高位は強くなくてはならないと思っている横綱が多用しても何の不思議もないとは思うものの、疑問も残る。
確かに、横綱は負けることは許されない。だが、そこには相手を考える強さがあったはずで、今の相撲を見ている限り、他の格闘技と変わらない。相撲だけが持つ伝統がどこかに置き忘れられた格好である。
力士への指導は所属する部屋の親方が行なうものだが、肝心のその師匠は大関止まりだったこともあり、横綱は師匠の言葉には耳を貸さないとも言われている。
かつて力士は強くて優しいとの代名詞であった。各地の民俗行事にもそれが残る。相撲は元々神事であったことは前にも触れた。土俵の所作にもそれはあり、単なるスポーツではない。関係者はそれを忘れてはならない。
(第三百二十二段)