サイレンとともに試合が始まると、まず気になったのは必要以上の間の多さである。かつてはこれほどではなかった。
特に、次の点である。箇条書きにする。
第一に、ヒットを打たれる度に守備側よりボールの交換が要求される。
第二に、基本的なエラーが多い。お手玉やトンネルなどである。この度に、流れが止まる。確か、数年前の甲子園大会でも同様の指摘があった。その当時出場した学年と思われる。
こうした結果、ひと試合に二時間半から三時間掛かっている。学生でさえこうなのだから、プロではもっと多いのだろう。これについて、最近ではサッカーと比較される。それは農耕民族と狩猟民族で説明出来る。つまり、収穫を待つことが出来るか否かである。当然、我が国の習慣は出来るわけで、それは国技である相撲や国劇の歌舞伎でも明らかである。
以上より、本来我々は他国と比べ、間を楽しめるはずである。それに違和感を覚えるのは、必要以上に間が多くなったこともあるけれど、忙しい現在では時代に合わなっているということだろうか。
(第二百九十二段)