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江戸教育勧(まなびしときは)

 十一歳の小学六年生の女児が同級生を殺害した。その理由については悪口を言われたことだという。今回の特徴として、この悪口がフェイス・テュ・フェイスでないことがあげられる。実際、メールでも分かるが、それは書いた本人が思っている以上に、その相手に対して強い感じを与える。
 これは、受け手が送り手の顔が見えないこともあるし、また送り手が書いている間に、感情のまま調子付いてしまい、それを名文と錯覚し、読み返さないままに送るからである。ひと息入れて、読み返せば、そのようなことにはならない。そこが文で飯を食べているものとの違いである。
 この種の事件が起きると、識者は命の重さを教えていたのかと論じるけれど、それは学校教育以前に知っていなくてはならないもので、幼児期に家庭で行なうべきものである。学校とは社会に出るために必要となる勉強の準備期間である。躾を教えるところではない。躾については、幼稚園の管轄である。
 そういう点からすると、小学生としての資格や能力がない者が学校にいること自体がおかしい。この結果、若者による犯罪が増えているともいえる。義務教育とはいうが、それに拘る必要はどこにもない。江戸のような年齢や学力などに関係のない柔軟性のある教育が望まれる。
(第二百八十二段)
by akasakatei | 2004-06-08 19:44 | 教育 | Comments(0)
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