普段、何気なく食べている物に豆腐がある。先日、口にしてふと考えた。木綿と絹漉しがあるけれど、どう料理では使い分けているのか。
ある本によれば絹漉しはなめらかだという。となると、どういった料理か。
家人によれば、味噌汁は木綿で、冷奴は絹漉しらしい。
こうなると、食べ比べたくなる。
そこで豆腐屋に行こうと思うものの、住んでいる辺りにはない。この近くの人はスーパーで買うしかないようだ。ここでまた疑問が湧く。
消費者は豆腐を使い分けているのだろうか。
昔なら、豆腐屋が相談に乗ってくれただろうが、今では自分流の人が多いと思われる。
ここで、故郷にあった豆腐屋を思い出す。古い店で、裸電球が吊るされていた。客の求めに応じて包丁で芸術的に大きさを分けていた。客は持参したボールにそれを入れて貰う。水がこぼれないよう、静かに客は後に作られている行列を縫い店から出る。イメージとしては、『君たちはどう生きるか』の描写に近い。
なかなか良い図である。一般的に、豆腐屋というとラッパと流しが定番だけれど、これも悪くはない。
そういえば最近、隣町から豆腐屋が車で売りに来る。豆乳や湯葉も扱っているものの、自然のものを原料に使っているからか、値段が張る。このため、滅多に車を停める人がいない。庶民の味方だった豆腐も高くなったものである。
(第二百四十段)