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紅梅窓(このにおいには)

 用を足す。顔を上げると、四分の一ほど開かれた窓から、裏の家にある紅梅が目に入る。トイレの窓は一般的に小さいから、収容所からの光景に近いけれど、決定的に異なるのは様々な音が聞こえることである。特に、子供の声はそこではまず聞かれない。
 これは、我が国において犯罪者に対し矯正を前提としていることとも関係がある。その効果については以前に触れたことがある。だから、今回、神戸の元少年Aが、仮とはいえ社会に戻ってきたのは、これまでのことを考えればある程度分かっていたものの、疑問符が付く。
正直、結果が最悪だと税金の無駄使いといえる。犯罪者に対する処置を根本から考え直す必要があるだろう。かつては打ち首だった者でも、今では下手をすれば、自由の身である我々よりも収容所で良い生活をしている。これでは、被害者やその周辺の人は遣り切れず、また、失業に苦しむ者はどうすれば良いのか。
 政府が現状を把握していないのは、今に始まった話ではないものの、そこには上辺だけの人権主義が感じられる。単なる自己満足としか言いようがない。
 この世で、他人を思う人間はほとんどいない。誰もが、己が一番大切である。口先だけの同情は出来るが、真に心配しているかといえば、所詮は他人事である。現在の犯罪に対する処置には偽善の臭いしかしない。
 信じられるのは、自分と本当の意味での悲しみを知っている人間だけである。
(第二百六段)
by akasakatei | 2004-03-13 15:53 | 社会心理 | Comments(0)
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