本当に可笑しな世の中になったものである。
京橋の路地を昼下がり歩いていたら、ひと目で日雇い労働者と分かる白い角刈りが近付いてきた。東北訛りが強く、何を言っているのかほとんど理解出来ない。
最後まで聞いていたら、五百円を貸してくれと言う。そこだけはどうしてか理解出来た。見知らぬ他人に貸す金は生憎持っていない。自分の生活だけで精一杯なので、当然断った。
それにしても、何を考えているのか。ところどころ理解出来たことを繋ぐと、埼玉の熊谷より京橋まで歩いてきたが、その道中交番を筆頭に、見知らぬ人に金を無心してきたというが、誰も貸してくれないらしい。
それが普通だろう。京橋に何の用かは知らないけれど、もっと世間を勉強する必要があるだろう。江戸では伊勢参りに行くなら一文も持たずに可能だったが、今では異なる。
同様のことに、よく難民らへの募金を駅で集めているのがいるけれど、そうした時間があるなら、自分でバイトでもしてそれを払ったらどうか。人の情けに縋るのは、この競争社会では難しい。
誰でも自分が一番大事であり、自己犠牲など蒙りたいものである。それは美しいことでも何でもない。
(第六十五段)