人気ブログランキング | 話題のタグを見る

歩狸庵菜香(けものみちでは)

普段、我々は死について考えていないけれど、ふと、その瞬間を想像する時がある。多くの人は長い間闘病することもなく、ぽっくり逝きたいと願っているだろう。
この間、飴で窒息し死にそうになった。死にそうになった経験は何度かあるが、何れも子供の頃である。成人してからは初めてである。まず、頭をよぎったのは仕事である。迷惑を掛けるかもしれない人の顔が幾つも重なる。不思議と助かろうとは考えなかった。これは死に対して恐怖を感じていないからかもしれない。何故なら、死とは寝ていて夢を見ていない状態と捉えているためである。最初こう考えたのは学生時代である。今回の経験からすると、別段痛みなど感じることもなく、それは一瞬のことともいえる
反対に死について恐怖を感じている人がいるのも事実である。はっきり言って、怖いものではない。経験により、今ではその考えも確信となった。宗教家は、天国や極楽、それに地獄を唱えたりする。恐怖からそれへ救いを求める人がいるものの、正直、救われるか否かは疑問である。というのも、宗教の意味とは、道徳・規範・倫理的なことだからである。
例えば、死の恐怖を逃れさせるために、生きている間に善を行なうよう勧めるのは社会秩序の安定に他ならない。特に、政教分離していない社会では、その持つ役割は大きい。
現在、この国は政教分離をしているにも拘わらず、どういうわけか先日のような例があったりする。某首相が靖国参拝を行ない、新聞の一面を賑わせた。確かに、戦争の愚かさを忘れないことは重要であるが、首相として参拝する必要があったのか。更に、後日有事法まで出てきた。今こそ、大いに議論すべき時期である。これまで、政治と宗教に関してはタブーとされていたが、最早そうした時ではない。
(第二十八段)
by akasakatei | 2002-05-12 12:00 | 社会心理 | Comments(0)
<< 閉世囲(さかささこく) 祭鯉風(なつのけい) >>