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口上典東西(ふみことのはじまり)

 昨今、聞くこと見ること腹の立たぬ日は無く、甚だ身体に悪い。友人知人と会っても、口から出るのは愚痴と溜息ばかりである。おかげで、「 タメグチ 」の赤坂亭と思われてしまっている。
上手く付けたと感心させられるものの、そうそう笑ってもいられない。この社会には問題が山積みである。マクロ的にはテロへの対策、ミクロ的には己の電脳機関(パソコン)のトラブルといったことまで様々である。これらは一見同次元には扱えなさそうだが、社会が人と人との関係で結ばれている以上そうしたことはない。何はともあれ、それらに対して、一応の策は行なわれるけれど、結果的にまた世を果敢無ませる始末となる。
この様子に、長年親交のある国分寺に居を構える電脳機関(パソコン)の師匠より、世間に不満があるならば文に認め発表すべき、と己の電脳掲示板の一部分を提供してくれる運びとなり、恥を忍び、ここに掲載することと相成った次第である。
この種の随筆には大先輩がいる。『徒然草』の吉田兼好や『方丈記』の鴨長明である。何れも素晴らしくその影を追いかけることさえ夢のまた夢である。これらの書かれた背景を探ると、共に現在の様に時代の先が読めなかった頃である。世の無常をその底辺としている。
当時、盛んだった仏教の影響もあるだろう。今日、無常を訴える人はそれほどいない。
 それだけ、世の中における人の気質が変化したことを指す。社会は人によって成立するが、人によっても社会は形成される二面性がある。
 この『岩戸傳惱梦草帋』ではそうした現代社会をやや斜に構えた視点から考察する所存である。
(初段)
by akasakatei | 2001-10-21 11:24 | 社会心理 | Comments(0)
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