朝、東京駅八重洲口で、スーツ姿の二十代の男性が、和式トイレにおける姿で弁当を食べていた。八重洲口とはいっても、現在工事をしており、工事用車両が出入りする場所の前だ。
和式トイレで思い出したが、地元を走る郊外電車でも、金髪のサングラスを掛けた二十代前半の男性が、車内は満員であるにも関わらず、ドア口で先のような座り方をしていた。こちらは携帯電話を弄っていた。
周囲を考えると、すぐに場違いだと分かるはずなのに、この自己中心的な行動は如何なものか。
想像力の欠如としか思えない。
ここで考えるのが、例の原子力の専門家らだ。自然界では、起こり得ないことなのに、その自覚が足りず、どうして安全といえるのか。現在、反省しているらしいけれど、本当に反省しているのなら、行動していないといけない。どうも口先だけではないか。
反省といえば、新聞によると、恋人を追跡出来るシステムが開発されたものの、プライバシーの観点で批判を浴び、担当者は頭を抱えているとのことだ。
普通に考えれば分かりそうなのに、何故、こうも想像が働かないのか。
皮肉なことに、検察の方が想像力はあるのかもしれない。尤も、設定は間違いばかりが目立つが。
(第二千九百八十四段)