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欺繕奢(わすれしこころ)

 聖書を研究しているという年配の女性と話す機会があった。それによれば、聖書の素晴らしさを知らせるために秋葉原近辺を回っているらしい。
 秋葉原周辺は、最近では電気街よりもアニメやゲームの町として有名である。このため、歩いていると気持ち悪くなるとのことである。そのファンが何を考えているか分からず、自分だけの世界に閉じこもり、駄目な人達と切り捨てる。
 正直、凝り固まった考えで自分だけの世界で生きているという点では、宗教に走る者も同様ではないか。特に、排他性のある一神教ではその傾向が強い。
 これに気付かない彼女は滑稽である。聖書とは博愛主義を問いているのではないか。尤も、それは一神教であり、異端を認めず、排除する点で博愛主義でも何でもなく、内容が矛盾しているのは明白である。
 前にも書いたが、宗教とは、元々弱い人間の心の拠り所である。そう考えれば、各々が縋りたいものに縋れば良く、決して他人を干渉するものではない。
 どういうわけか、ここを忘れた宗教が多く、信仰という理由だけで、世界のあちこちで軋轢を生んでいる。本来、生きていく上で大切なことは、信仰よりも、相手の立場を考え、思い遣ることである。これがあれば、信仰など持たなくても、暮らし易い社会になるはずである。
(第四百八十三段)
by akasakatei | 2004-12-26 13:53 | 社会心理 | Comments(0)
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