人気ブログランキング | 話題のタグを見る

均児久(のうかいぞう)

 各大学の運動部が世間を騒がせている。どれも本能第一で行動した結果である。まるで、かつての僧兵を思わせる。余程体力が余っているらしい。
 大学の運動部は一般入試ではなく、スポーツ推薦で入学してくることからも分かる通り、大学の知名度アップのためのものである。つまり、スポーツだけしか出来ず、ほとんどが世間の常識に疎く、もっと社会勉強が必要なのではないかと思う。
 学生時代、何人かの運動部員と親しくしていた。彼らは、「スポーツ推薦故、後輩のために高校と大学とのパイプを守るため、留年せず卒業しないといけない」と言っていた。だからといって、彼らが勉強していたわけではない。講義には出ず、試験前にコピーを集め、それを縮小コピーしカンニングをしていた。
 何のための大学かと考える。
 今回の事件も処分は重くすべきである。被害者の心情を考えれば当然である。
 よく謝罪会見で、「自分に出来るのはこの分野だけで、それで頑張って償いたい」と言っている人がいる。だけれど、被害者からすれば、その関係領域自体が嫌いになっている可能性が高く、それで頑張っても、憎みこそしても償いになっていないことが多い。
 罪を償うとは被害者の心情を思い遣り、自らの行動を反省し、世のため人のためとなることである。元々、相手への思い遣りがあれば、罪を犯さないわけで、それらを考えれば、自らの得意分野で頑張っても仕方がないことである。それまでの自分を変えない限り、同じ過ちを繰り返す率は高いわけで、生まれ変わったつもりにならなければならない。
(第四百七十六段)
by akasakatei | 2004-12-19 19:14 | 社会心理 | Comments(0)
<< 病暗風(ごうりのはて) 病暗御所車(きみをひくのは) >>