2010年 02月 17日
大相撲の朝青龍関が引退した。
初場所中の事件のためで、一般の人に暴力を振るったという。
以前にも触れたけれど、その土俵での振る舞いは、最後まで直らなかった。
高砂師匠は、勿論、他の師匠らはどう考えているのか。
大体、高砂親方が部屋を持つと聞いて、驚いた人は多い。
それほど、指導力が疑問視されていたともいえる。
角界の話題では、他に理事選がある。
これも安治川親方の退職騒動にまで発展した。
投票に関し、犯人探しをするなど、民主主義からほど遠い姿である。
本来なら、随分前に、朝青龍関の処分をし、理事選についても、公平な選挙が行なわれていなくてはならないものであった。
常識を疑われるのも当然だろう。
これで、今後、角界は変わるか。伝統面では疑問符が付く。
残念ながら、外国人や大学相撲の出身者が多く、相撲で重要な伝統をどこまで理解しているのかと思う。
(第二千三百六十二段)
2010年 02月 16日
鬼子母神より都電を越えて早稲田方面へ坂を下る。
この辺は坂が多く、面白い地域である。
坂を下ると、早稲田の電停が近い。ここは早稲田大学に隣接する。地下鉄の駅は、大学の反対側である。
ここへは、公開講座で何回か来たことがある。
飲み屋を探すならば、高田馬場か新宿、若しくは、神楽坂へ出ることになる。
佐貫の酒仙に確認すると、神楽坂を所望するので、そちらを目指す。
この日は、夏目坂を上がって行くことにする。ここは初めてである。
上がったところで、脇に入る。
ここら辺の地形がよく分かる。東京の面白さを感じる。
また、この一帯は、意外と銭湯が残る。風が強く、つい、ひと風呂浴びたくなる。
尤も、温まり、外へ出た途端、温度差で風邪を引く可能性もある。
神楽坂へは、三時半頃に着く。さて、どこで飲むことにするか。
(第二千三百六十一段)
2010年 02月 15日
ここで、ご飯を大盛りにするか、訊かれる。頷いたところ、丼に山盛りで、普通の店の二膳分であった。学生相手だからか。
待ち合わせの雑司ヶ谷まで歩く。
途中、古本屋がある。覗くと、興味深い本が棚にある。これは良い町の条件のひとつである。
ところで、この付近は、中学時代、毎年師走になると、校外教室で東京音大に音楽を聴きに行った。三年間、必ず迷ったのは不思議である。
今回も探したところ、また迷う。漸く着くと、校舎は立て替えられていた。
鬼子母神の参道を歩く。
時間があり、風も冷たく、どこか喫茶店で休みたいものの、数はそれほどなく、それも休みばかりである。
開いていた一軒に入る。
ここで本を読んでいると、佐貫の酒仙より連絡が入る。
待ち合わせの鬼子母神前の電停へ行く。
鬼子母神の境内を巡り、飲み屋を探す。
(第二千三百六十段)
2010年 02月 14日
二月七日、西武池袋線の上り石神井公園付近が高架化されたので、訪れる。
まず、下りで保谷まで行く。途中、富士が見える。
関東の私鉄で、他にどの線で富士が見られるのか気にしていなかったこともあり、何だか得した感じになる。尤も、富士見台という駅が近くにはある。
保谷で改札の外に出ると、再開発中である。駅前の個人商店の果物屋はペットボトルの値段が安かった。
一本脇道に入ると、農村だった頃のイメージが湧く。
駅に戻り、いよいよ目的だった上り線で折り返す。来たのが各駅停車だったので、石神井公園で急行を待つ間、観察するも、風が強く、下りの工事を気にするだけで終わる。
この後、佐貫の酒仙と雑司ヶ谷で会う予定である。
未だ、十時過ぎで、本屋で暇を潰し、食事をする。
近くのチェーンの居酒屋に入る。日曜だからか、定食を食べさせる店がなかなかない。ラーメン屋かチェーンのコーヒー屋しか開いていない。
(第二千三百五十九段)
2010年 02月 13日
新松戸より千駄ヶ谷へ向かう。
国立能楽堂で第十九回能楽若手研究会東京公演が行なわれる。通称、若手能である。ここ数年、訪れている。
今回は、能が『半蔀』(観世流)、『舎利』(金春流)、狂言が『水汲』(和泉流)である。
武士が楽しんだものということもあり、庶民文化に興味を持つ者にとって、一年に一、二回しか足を運ばないものの、どういう理由か行きたくなる時がある。
能は無駄な動きがなく、そこに美があるという。面にしても、表情が変わるという。
ただ、これは分かり難く、むしろ耳に心地良いのは地謡である。何を言っているか意味は分からない。それでも聞きたくなるのは、調子が良いからか。また、囃子も面白い。
そのような曲が多い中、『舎利』(金春流)は動きがあるものであった。
歌舞伎的な要素を感じる。
それにしても、この日は、全ての曲に僧が出ていたことを後で気付く。
(第二千三百五十八段)
2010年 02月 12日
二月六日、大宮のホームに七時過ぎに立つ。
この時間に大宮へ来たのは、八時一分発の「花摘み南房総号」へ乗るためである。
これは館山まで行くけれど、途中、貨物線を経由する。武蔵浦和から別所信号所である。
この区間を走るのは、知るところ、この列車のみで、今年は二月の土曜にしか運転されないようである。
七時五十分頃に、国鉄型特急車輛が入線する。特急車輛を使っているけれど、「花摘み南房総号」は快速で、乗車券と指定券で乗ることが出来る。
ホームには、この列車を写すべく、カメラを持った若者をあちこちで見掛ける。
それにしても、全車指定席なのに、一部車輛に自由席の札があったのはどうにかならないか。
定刻に発車する。
車内は空いている。ここでも撮影している人が多い。
今回は、新松戸まで行くことにする。
大宮を出、見慣れない箇所を走っていると思っている間に、武蔵野線に入っている。
八時三十七分、新松戸着。
(第二千三百五十七段)
2010年 02月 11日
就職活動中らしい女子大生が帰りの郊外電車に乗って来た。
車内は込んでいる。それにも関わらず、ぬいぐるみの付いた鞄よりコンビニで売っているような菓子を取り出し、立ちながら食べ始める。
鞄を開けた際、中が見える。煙草が入っている。
自分が採用担当者なら、まず、採用しないだろう。
後日、今度は銀座線のことである。新橋より、表参道へ向かっていた。
車内は空いており、向かいには四十代半ばの太った男性がいる。眼鏡を掛けている。
この男性、コミックスを読んでいる。題名を見ると、ファンには人気のあるものである。よく見ると、着ているジャンパーも昨年放送されていた軽音楽部を舞台にした作品のものである。察するに、秋葉原へ行った帰りで、末広町から乗って来たに違いない。
このふたり、思うに、周囲の目を全く気にしていない。
それは確かに重要だけれど、中には、次のように迷惑なものもいる。
これも四十代半ばの太った男性である。満員電車で、釣り革ったに掴まっているのだが、肘が頭に当たる。空いた手で携帯電話を弄っている。そのゲームに熱中している。普通、気遣うはずである。
(第二千三百五十六段)
2010年 02月 10日
仕事帰り、小田急がまた遅れる。
遅れの原因に関し、車内放送と駅では異なる。前者はドアに物が挟まれたためという。後者は体調を崩した乗客を救護したからだという。
どちらが正しいのか、下車駅で駅員に問う。
それによれば、乗客を救護した際に、ドアに物が挟まれトラブルになったとのことであった。
ならば、そのように案内にすべきではないか。何故、ふたつに切るのか。
この点を質すと、更に、情報が錯綜していると付け加える。
指揮系統がひとつではないということか。
こうした場合、駅の責任者が担当部門に伝え、それを担当責任者が関係部門へと伝達するだけの話しである。どう考えても、錯綜するはずがない。
逆にいえば、それだけ、組織の横の繋がりが弱くなっているともいえる。
何れにしろ、乗客本位でなくなっている。
(第二千三百五十五段)
2010年 02月 09日
夜、点検で中央線が遅れる。「発車まで、十分ほど待って下さい。」との車内放送が、東京駅で流れる。夕方のラッシュであり、すぐにホームは一杯になる。
どうして、振替の手配をしないのか疑問である。
この案内があったのは、それから五分してからである。
朝にこうしたことがあった時は、意外と早く、振替の案内があるものの、夕方は何故か遅い。
結局、地下鉄で帰る。
地下鉄から郊外電車に乗り換えると、皮ジャンを着た若者が魚肉ソーセージを食べている。
パンや御握りは見たことがある。これは初めてである。
また、丁度、この日は雨である。
折り畳み傘を持った五十代の会社員がいる。
釣り革に掴まりながら、折り畳んだ濡れた傘をその位置で持つものだから、電車が揺れる度に、滴が周囲に垂れる。
迷惑になっていることを分かっていない。
どうも似非都会人には、困ったものである。
(第二千三百五十四段)
2010年 02月 08日
昨夜、オフ会より戻ったのは、日付が変わってからであった。目覚めたのは、四時半である。何故か、あまり眠れなかった。
この日は、三月の日生劇場での歌舞伎チケットの引き取り開始日である。ゆっくりしているわけにもいかず、耳鼻科を回った後、歌舞伎座へ向かう。
月末なので、この日、芝居はなく、歌舞伎座周辺に人はいない。すぐに引き取れたので、パナソニック電工汐留ミュージアムでの「木田安彦の世界 木版画[西国三十三カ所] ガラス絵[日本の名刹]」へ足を延ばす。
歩いて汐留付近まで行くけれど、再開発された地域ということもあり、どのビルも似ているとしか思えない。実際、このミュージアムがどこのビルに入っているかまでを確認していなかったため、探すのに手間取る。
目立つところに、案内が欲しい。見たところ、分かり難い場所にあり、この案内が景観を壊すと考えているのかもしれない。
ところで、木田氏の作品は、対照的に、懐かしさを覚える。
顔の表情が印象に残る。
(第二千三百五十三段)